マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

安倍官房副長官出演の「おしゃれカンケイ」を観て感じた、日本の階級社会。 - 2003年08月26日(火)

 このあいだの日曜日の「おしゃれカンケイ」に安倍晋三内閣官房副長官が出演していた。本当は、「おしゃれカンケイ」なんて僕の趣味じゃなくて、山田花子の110キロマラソンのゴールシーン(ワープしなかったみたいですね。遅れたことで信憑性が増すなんて、皮肉な話だ。あの時間にゴールしたのは、時間調整が行われたのかもしれないけどさ)の後に、放送されていたから、なんとなく続けて観ていただけなんだけど。
 僕のイメージの安倍副長官というのは、現代の政治家としては、比較的スマートなイメージの人、というものなのだが、この番組で語られた彼の家庭や生活ぶりを観て、僕はなんだか行き場のない虚しさを感じてしまった。
 日本にも、「貴族」はいるんだな、って。
 池田貴族さんが肝臓癌で亡くなられて以来、日本には貴族はいなくなったとばっかり思っていたよ。
 代々政治家の家系で、父は首相目前で落命、祖父は岸信介元首相。奥さんとは今でも仲が良くて、お互いに愛し合っている(らしい)。海外留学後父の秘書から後継者となり、国会議員に当選したあと、内閣官房副長官として、北朝鮮の拉致問題で頭角をあらわし、国民の人気も高い。まあ、こんなところかな。
 しかし、安倍さんの血統や幸せな家庭生活を聞かされるにつれ、僕の心に、なんとなく納得できないものが積もっていくのだ。
 それは、「西田ひかると会食」というあたりで、ピークを迎えた。
 同じ日本人でありながら、プロダクションの社長が奥さんの知り合いとかいう理由で、お気に入りの(元?)人気アイドルと、気軽に「お食事でも」と言える階層の人が、現代日本にも存在している。
 ああ、自由と平等の国、ニッポン!

 もちろん、安倍さんだって、そういう家系に生まれた苦悩もたくさんあるのだと思うし、同じく「自由の国」を標榜するアメリカだって、実際に社会を牛耳っているのは、ごく一部のエリートなのは間違いない。いまだに、シュワルツネッガーの奥さんはケネディ家の…とか言っているくらいだから。
 なんだか、自由とか平等とか思い込んでいるのは下々の者どもだけで、上流階級の人々は、「ま、キミたちは、自分たちは自由だと思い込んでればいいよ、ハハハ」とか蔑んでいるんじゃないかなあ、という気もしなくはない。

 それでも、日本という国は、世界レベルで言えば、まだ下々の者が成り上がれる可能性がある方の国だったりするから、人間というのは、いかに不平等なものか、ということなんだろうなあ。

 そういうふうに考えていくと、どうして日本人に田中角栄が根強い人気があるのか、わかるような気がする。豊臣秀吉と同じ、なんて言うけれど、要するに、彼は生まれつきの貴族ではなかったから、なのだ。
 みんな気づかないふりをしているけれど、日本だって、眼に見えない階級社会であり、それを打ち破った田中角栄は、「庶民の希望の星」であり続けるだろう。
 実際、角栄という人は、最近再評価されつつあるような気がしてならないし、もっと時代が経てば、偉人化されていく可能性が高いと思う。彼の政治家としての手腕は別として。
 彼が総理になったこと自体が「革命」だったのだから。
 そういう「成り上がり」タイプの人間は、得てして自分の欲望が先に立ってしまいがちなのは確かなんだけど。

 しかし、お気に入りのアイドルと気軽に「お食事でも」と言えるような人が、「庶民の立場で政治を」なんて言っても、そりゃムリだよね。「庶民」になんか、なったことないんだもの。
 「パンがなければお菓子を食べればいいのに」と言って、フランス国民の怒りを一身に浴びたマリー・アントワネットは、イヤミでそんなことを言ったわけじゃないのだ。

 あっ、別に僕は西田ひかるさんのファンじゃないですから、念のため。


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