マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

常総学院・木内監督の起こした「奇跡」 - 2003年08月24日(日)

この文章(kobさんの「ゴミ箱くん」8/24)を読んで考えた。 
僕も今回の常総学院の優勝は、出来すぎだなあと思いながら、「甲子園は最高の教育の場」という名将・木内監督のインタビューをラジオで聴いていたのだ。
 そのあとのキャプテンと好投した2番手投手の涙のインタビューも、すごく心に染みた。もちろん、僕が高校生のときに同じ光景が目の前にあれば「ケッ」とかいって、テレビのスイッチを即切りしていたかもしれないが。
 僕は基本的に、高校野球の「神聖さ」なんて、信じてはいない。
 あの「さわやかな若者」たちの多くは、授業中には殆ど居眠りをしていたり、後輩を苛めたりしているのではないかと思う。テレビで解説者が「高校生らしい」なんていう度に、「あなたたちが定義しているような『高校生らしい高校生』なんて、もう絶滅してるよ…」と言いたい気分だった。
 男からみた「女らしい女性」が希少種になってしまったのと同様に。

 そんな虚像の青春群像である甲子園なのだが、今回の木内監督勇退の大会での優勝は、決勝戦が好投手ダルビッシュのいる話題の東北高校(北海道・東北勢の夏の大会初優勝がかかっていたらしい。でも、ダルビッシュは大阪出身らしいけどね。甲子園のための越境入学なんてのは、昨今当たり前の話なんだけどさ)との対戦ということもあって、甲子園は超満員で、凄い歓声だった。まさに、ドラマの舞台は整っていたわけだ。

 木内常総の優勝が「出来すぎ」だというkobさんの感想はよくわかる。僕も「出来すぎ」だと思う。
 まあ、「ブック(やらせ)」だとかは思わないけどさ。もちろん、kobさんだって、本気でそう思って書いているわけじゃないんだけど。

 ただ、こういう出来すぎの結末を見せられてしまうと、「ヤラセだ!」とか思ってしまう人間っていうのは、けっこういるわけで。
 例えば、オグリキャップの引退レースの有馬記念なんかも「ヤラセだ!」と言っていた人たちがけっこういたものだ。
 僕も、「これは怪しい!」とそのときは思ったし。

 でも、30年も生きていると、こういう「出来すぎの結末」というのが、いかに稀有な事例であるかということがわかるのだ。
 有終の美を飾るはずの引退レースでボロ負けしてしまう名馬。
 なけなしの金で一発逆転のギャンブルに出て、やっぱり失敗してしまう人。
 成功率がほとんどない手術にかけたものの、やっぱりうまくいかなかった患者さん。
 どんなに死力を尽くしても、現実は、そんなのばっかりなんだよ。

 実は、「木内監督のような立場にありながら、甲子園に出ることすらできなかった名監督」なんてのは、たくさんいるのだ。
 それは、語られなかっただけのことで。
 むしろ、こういう「ドラマチックな結末」が成立することは、ごくごく稀なこと。
 何百倍、何千倍という「ドラマチックじゃない結末」の中に、蜃気楼のようにあらわれるドラマ。
 だから、それを人々は「奇跡」と呼んで、語り継ぐのだろう。

 木内監督の陰には、たくさんの木内監督になれなかった人がいて、オグリキャップの陰には、無数のオグリになれなかった馬がいる。

 だから、僕は今回の奇跡に、正直に感動してみることにした。
 たとえそれがテレビで報道されているような「神聖な」ものでないとしても。
 全部「ヤラセ」だと決め付けてしまうよりは、多少は建設的なはず。
 
 まあ、本当にヤラセの場合もけっこうあるとは思うんだけどさ。

 というわけで、木内監督、常総学院の選手のみなさん、おめでとうございます。
 ところで、インタビュー中、72歳の木内監督が「人生の幸運を使い果たしたみたいで、これからの人生が心配だね」と言っていたのは、笑うところだったのかな?



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