マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

あの「揚げたてコロッケ」は、もう二度と食べられない。 - 2003年08月27日(水)

 バイト帰りに横を通り過ぎたスーパーの片隅に、「揚げたてコロッケ」という小さな出店があった。
 僕は、車のハンドルを切って、その店の前に横付けし、「コロッケ!」と叫びたい気持ちになったのだけど、結局、その衝動は一瞬だけのものだった。昼ごはん食べたばっかりだったし。
 
 小さな頃のこんな光景を覚えている。
 近所のスーパーへ、夕飯の買い物に行く母親についていく僕。
 踏み切りを渡ったところに、そのスーパーはあって、店先では、いつも揚げたてのコロッケが売られていた。漂ってくる、ラードの香り。
 何人かの短い列にならんで、家族の人数+αの数のコロッケを買う母親。
 僕は、その揚げたてのコロッケを一個もらって、その場でかぶりつく。
 サクッとした食感と口いっぱいにひろがるじゃがいもの味。
 その様子をを嬉しそうに見ている、まだ若かった母親。

 それは、幼い頃の僕にとっては、至福の楽しみだったのだ。
 好き嫌いが激しくて肉も魚もほとんど食べられなかった僕にとっては(というか、肉も魚も「かわいそう」だったのだ。今から考えると自分でも信じられない話なのだけど。でも、今でも魚の目を見るとダメだ。高級和牛とかでも、生き造りとかあったら、食えないと思う)、その「ほとんど肉が入っていないけど、じゃがいもが詰まっていて、ホコホコのコロッケは、何者にも替え難いごちそうだった。
 
 今でもたぶん、スーパーに行って、惣菜売り場でコロッケを買い、かぶりつくことは可能だろう。
 でも、それはたぶん、今の僕にとっては、美しい記憶を墨で塗りつぶすような行為だと、自分でもわかるのだ。
 カニクリームコロッケとかに慣れきった僕にとっては、何の変哲もない食べ物だろうし、母親も、もうこの世にはいない。
 それでも、僕は、あのころのじゃがいもコロッケが懐かしくて仕方がない。
 もう、二度とあのコロッケは食べられないに違いない。
 それはたぶん、追憶の味。

 外がすっかり暗くなる時間、ひとりで住宅街を歩いていると、どこかの家からカレーのにおいが漂ってくる。
 そんなとき、僕は無性にどこかに帰りたくなる。

 でも、帰るべき場所が思いつかなくて、なんだかとてもとても、寂しくなるのだ。



...




My追加

 

 

 

 

INDEX
past  will

Mail Home