「普通の12歳」なんて、もうどこにもいない。 - 2003年07月11日(金) 今から約20年も昔の話ですが、僕は、純真な12歳ではありませんでした。 毎日広場で野球をしたりなんてしなかったし、泥だらけになって遊んだりもしませんでした。 中1になるときに転校してきた中学校は、ただひたすら荒れていて、ヤンキーが「○○ちゃんとヤッたけど、よかったぜ」なんて話をトイレで普通にしているような学校でした。 おまけにその中学は、市内の3つの小学校から生徒があつまっているマンモス校で、入学式の後、それぞれの出身小学校別に生徒が固まっている中、ひとりポツンと教室にいるのは、とてもとても辛かった記憶があります。 固まっているクラスの中に入りこんで来た転校生のほうが、みんなに構ってもらえる分ラクだったのではないかな、と思いました。 中学校時代は、帰宅部でした。 吉川英治の三国志にシビレました。 たまに遊びに来てくれる小学校時代の友達とファミコンだけが、人生のオアシスでした。 成績は、それなりに優秀でした。 運動は苦手で、家で本を読んだり、ゲームばかりしていました。 人と話すのも苦手で、自分から話しかけられない性格でした。 女の子とも、ほとんど喋ったことはありませんでした。 勉強はできたので、いじめられたりはしませんでしたが、クラスの「頭のいいヤツ」と少人数のグループを作って、あまりそこから出ることはありませんでした。 「青春」なんて言っている大人は、バカだと思っていました。 尾崎豊の「卒業」を聴いて、「教室の窓ガラスを割るとか、そんなつまらない反乱をやっても何も変わらないだろ、バカだな。それなら勉強して東大に行って、このつまんない社会を改革してみろよ」と思っていました。 タバコは、体に悪いから吸いませんでした。 学校でも家でも、基本的には「良い子」でした。 万引きなんて、やったこともありません。 親が悲しむのが嫌だったのと、将来の自分のキャリアに傷がつくと思っていたからです。 ヤンキーに絡まれたら、「お前らが俺のところに将来金借りに来ても、絶対貸してやらないからな」と心に決めつつ、ひたすらに耐えました。 あれから、20年経ちます。 たぶん、僕はあの頃より素直で自由です。 エロトークだって、多少は似合います。 彼女だっています。 嫌なヤツとは、あんまりつきあわなくてよくなりました。 まだまだ完璧には、程遠いけど。 結局、紙一重なのかもしれませんね。 僕のような、健全でない人間にとっては。 でもね、ほんとうに健全な人間なんて、いるのかな? 子供らしい子供なんて、いるのかな? そういうのって、川にはメダカがいるはずだ! という先入観のもとに、ずっと絶滅目前のメダカを探し続けるようなもの。 ただ、ひとつだけ言えることは、12歳という年齢は、「善悪の判断ができない年齢ではない」ということです。人を殺すことが社会に反することだと、わからない年齢ではないでしょう。 悪いことをやれば罰されるのは、当たり前です。 14歳の誕生日を迎えたとたんに、スイッチでも入るかのように理性に目覚めるわけがない。 子供らしくできる子供は、そうすればいい。きっと大人も喜びます。 子供らしくできない子供は、もっと大人になってください。 もしくは、大人になるまで、なんとかガマンしてください。 大人は、「子供らしく」と言いながら女子高生を買い漁り、その一方で、「高校生が売春するなんてけしからん」とか言えるカシコイ生き物です。 買う人がいなければ、誰も売りようがないのにね。 そこに矛盾を感じるのは、ごくごく普通の人間です。 ぜんぜん変じゃありません。 だいたい、イマドキ原っぱで遊んで、何が面白いものか。 しかし、よく考えてみたら、これだけいる12歳の人口のうち、そういう犯行に及ぶものはごくごくわずかで、大部分の12歳は、いろんな矛盾を抱えながらなんとか「普通に」生きているわけですよね。 この世界の12歳よ、他人を傷つけちゃだけだよ。自分が損するだけだから。 「理解がある」大人が思っているほど、みんな子供じゃないよ、12歳なんてさ。 ...
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