マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

サイト運営者の欺瞞と閲覧者の傲慢。 - 2003年07月10日(木)

サイトを何のためにやっているのか?というようなことを最近よく考えている。

先日「POPOI」というサイトに行ったら、管理人の入江舞さんが「多忙なので、しばらく休みます」という意味の閲覧者への連絡事項を書いていたのだが、その文章の締めは「ごめんなさい」だった。
 「こんな内科医ですみません」のBBSが荒れていて、そのキッカケになったのは「最近女の子の話ばっかりで、ワンパターンでつまらない」という書き込みだった。

 僕は、文章を書くのが好きで(もちろん、いろんな人とやりとりをするのも好きなんだけれど)このように自分の時間を割いて書いているのだけれど、最近、サイトをやっていて良かったと思うことと同じくらい(ときにはそれ以上に)イヤだなあ、と思うことが多いのだ。
 よく、サイト運営者の運営の意義として「実生活では得られないような友達をつくりたい」というのがあるのだが、僕は別に、サイトに友達作りという目的を求めていない。
 ところで、みんなそんなに友達が欲しいのか?
 そんなに友達作りのためにかける時間があるのか?

 じゃあ、何のために?と考えてみたのだが、やっぱり自分が書いたことに対して、世界から返ってくるリアクションが面白かったのだと思う。
 はじめてメールが来たとき、スゴイ、と思わなかったかい?
 見知らぬサイトからリンクしてもらったとき、なぜかとても嬉しくなかったかい?
 掲示板にはじめて書き込みがあったとき、リンク先が怪しいネットビジネスのサイトでも、消すのに躊躇しなかったかい?

 最近、面白くないのだ、本当に。
 性格には、面白さを上回る不快さを感じることが多い。
 なんだかわけのわからない嫌がらせメールとか来るし。
 僕が医者だからと言って、自分がつきあっていた医者へのクレームを書いてこられても困るわけで。
 今、日本に医者が何人いるか知ってますか?
 全然珍しい仕事じゃないし、「医者」という職業に属する人の中にも、いろんな人がいるのです。
 内容にクレームがあるのなら、ちゃんとした文章で書いてくれれば、誠意を持って対応するつもりなのに、何処が悪いのかすらわからず、ただ気持ち悪い。 

 イヤなら読まなきゃいいのに。
 読むのも読まないのもタダなんだから、更新しようがしまいが文句言われる筋合いもない。違うかい?
 そう思う一方、サイトなんてのは、読んでくれる人がいないと成立しないという面もあるんだよなあ、実際。
 全く同じことが書かれていても、読み手の数によって、全然その反響が違ってきたりもするものだし。

 しかし、「更新できなくてごめん」っていうのは、ある意味傲慢でもあるよね。
 「相手が楽しみにしている」ていう前提があるわけだから。
 もちろん、僕だって「POPOI」を楽しみにしている人間のひとりなんだけど。

 ひとつだけ言えることは、サイトが大きくなればなるほど、面白くもある反面、そういう対外的なストレスは増えてくる、ということだ。
「POPOI」よりも更新頻度が低いサイトなんて星の数ほどあるし、「こんな研修医…」より面白くて多彩なパターンのサイトがそんなにあるとは思えない。
 それに、サイトというのは、大きくなればなるほど(そして、管理者が自分を隠そうとすればするほど)書けないことが多くなるのだ。
 家の日記帳になら、実名で上司の悪口が書けても、1日1万ヒットのサイトに書けるわけないじゃないか。

 ワガママとワガママの衝突のエネルギーで、サイトというのは管理者にも制御しきれない、とんでもない怪物になっていく。

 書きたい人が書きたいことを書き、読みたい人が読みたいことを読む。
 そんなシンプルな喜びは、もうココには無いのか?




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