マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

「こんな人間を育てた社会に大きな憤りを持つ」って、漫才ですか? - 2003年06月27日(金)

池田小事件の裁判についての記事から。

【午前中、「被告は心神喪失か心神耗弱だった」として無罪か刑の減軽を求めた弁護側は、午後の弁論でその論拠を展開した。

 弁論は、犯行時の被告について、「人格障害と、強迫思考や嫉妬妄想などの精神症状とが複合・一体化した複雑な精神障害だった」「直前には、これに抑うつ状態が加わり、犯行に至った」と分析した。

 そのうえで、精神障害の原因を「(脳の)前頭葉機能の障害」と推定、「器質的な要因が大きく、被告の努力で脱却することは不可能か、著しく困難だった」として、責任能力はなかったか、限定的なものにとどまっていたと主張した。

 情状についての弁論は、弁護人が被告に「君に1番欠けているのは、弱者への共感、自他の命を慈しみ、惜しむ心だ」などと語りかける異例の形で行われ、「このような人間を育ててしまった社会に大きな憤りを持つ」と結んだ。

 最後に、宅間被告が意見陳述した。「今まで、さんざん不愉快な思いをさせられて生きてきた」「しょうもない貧乏たれの人生やったら、今回のパターンの方がよかった」などと用意したメモを読み上げ、続けて「幼稚園ならもっと殺せたと、今でもこんなことばかり考えてしまう。いずれにしても、死ぬことは全くびびっていません」と述べた。】

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 弁護士っていうのは、大変な仕事だなあ、とつくづく思います。
 僕は昔、宇津井健さんがやっていた、「ひまわりの歌」を観て、「弁護士になりたい」と思っていた時期もあったのですが、こういう情景を想像すると、なれなくてよかったなあ、と。
 弱者の味方、冤罪に陥れられた罪なき人々を救う弁護士、でも、そのイメージは、次第に変わっていきました。
 要するに「裁判に勝つ」ことが何よりも大事な世界。
 理想だけでは、食べていけないんですよね、きっと。

 池田小学校の事件については、誰もが「極刑以外にありえない」と感じているのではないでしょうか。僕は死刑必要派ですから、もちろん即刻死刑にするべきだと思いますし、死刑反対の人でも、その中での最高刑でしかるべきだと判断するのでは。

 それにしても、こんな強弁をしなければならなかった弁護士は、仕事とはいえ嫌だっただろうなあ、と。
 まさか、自分でもこの弁論が正しいなんて思っちゃいないだろうし、万が一これで多少情状酌量されたとしても、極刑以外に考えられないのに。

 しかし、毎回「こんな社会に憤りを感じる」とか言ってますけど、そんなら法を遵守させるのが仕事の(法の網の目をくぐるのが仕事?)弁護士とかにならずに、革命家にでもなったらいいのになあ、と思わなくもないです。
 そんな理屈が通るなら、この世の不幸は、全部社会のせいだね。

 「こんな社会が悪い」だからどうした。
 僕は、宅間を守るために社会が反省するくらいなら、宅間を排除して、「悪い社会」を維持するほうを選びます。
 だいたい、前頭葉の病気云々なんていっていたら、犯罪者はすべて精神鑑定で無罪になっちまうよ。
 「他人を傷つける能力があるものは、精神状態にかかわらず、それに応じた罰を受けるべき」だと僕は思います。
 
 しかし、仕事とはいえ、死にそうな宅間が病院に運ばれてきたらどうしよう、とか思ってしまうのも事実。
 ちなみに僕が被害者の子供たちの親だったら、一生懸命治療して、退院して病院から一歩出た瞬間になるべく残虐で苦しい方法で殺します。


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