マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

『タイタニック』にローズ婆さんは必要なのか? - 2003年06月28日(土)

 大槻ケンヂの本に、映画「タイタニック」の感想として

【ディカプリオの『タイタニック』は面白かったけど、どーもバーさんのホラ話につき合わされているような気がして笑ってしまった。】

 というのがあって、なるほどなあ、と僕は頷いてしまった。

 『タイタニック』は、映画通と言われる人達の多くが言うほど俗な映画じゃないし(大ヒットしたから俗だ、というのは、なんだかとてもバカバカしい発想だ)、非常に優れたパニック・ムービーだと僕は思っている。
 少なくとも、『タイタニック』という船に起こった悲劇はフィクションじゃない。

 でも、僕自身も、あの「老婆となったローズ」というキャラクターの存在意義には、疑問を抱いていたのだ。
 演出的には、「瞬間の情熱」と「永遠の愛」というのを対比させるためだったのだろうな、と考えているのだが、正直、老いて昔のタイタニック号での記憶にしがみついているローズの姿には、「諸行無常よのう…」としか思えなくて。

 だいたい、あの青い宝石も笑っちゃうくらい安っぽいし、あんな恐怖体験が「いい想い出」になってしまうものなのかなあ、とも。
 
 僕が『タイタニック』を観て、いちばん感じるのは、「この映画は史実を元にしていて、現実にああいうふうに真冬の真っ暗な海に沈んでいった人達がいたんだなあ」ということだ。
 最期まで音楽を奏で続けた楽団、救命ボートに乗るために争う人々、そして、真っ暗な冷たい海で、次第に消えていく生命の灯…

 ジャックとローズの話は、所詮フィクションだし、僕にとっては、物語の狂言回しでしかない。2人の愛の行方には、あんまり興味が持てなかった。

 「感動して泣けた」というより、「あんな酷い目に遭った人達がいるなんて…」と、そのときの人々気持ちを考えると、辛くて泣けた。
 それは、希望に向かう船のはずだったのに。

 しかしなあ、タイタニックは、あのローズ婆さんが最後にまた出てくるせいで、観終わったあと、『マディソン郡の橋』を観終わったのと同じような厭な気分になるのだ。
 「あのローズ婆さんと、ずっと結婚してた夫がかわいそうだな」って。

 僕はやっぱり、『タイタニック』の現代のシーンは蛇足だと思うんだけど…
 



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