マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

「不毛なネット上だけのコミュニケーション」万歳!! - 2003年06月20日(金)

 最近「ネット上だけでのコミュニケーションは不毛だ」というような文章を目にすることが多いような気がする。
 まあ、要するにオフ会とか出会い系のススメみたいなものですね。

 「せっかくだから、バーチャルなネットの世界だけじゃなくて、リアルの世界でもトモダチになろうよ!」
 そういうポリシーを持っている人を僕は否定するつもりはない。
 勝手にやればいいと思っている。

 でも、「ネット上は嘘の世界で、そこでの交流に意味はない」のだろうか?
 「実際に顔を合わせてコミュニケーションをとらないとダメ」なのだろうか?

 それって、「営業の心得」みたいな感じだよなあ。
 僕はサービス業従事者ではありますが、もともと人間は苦手だし、仕事外での濃厚なコミュニケーションをあんまり望んではいない。

 率直に言うと、こうやって文章を書くということは、僕にとっては「ファイナルファンタジー11」をプレイするのと同じなんだ。
 ただ、武器を持ってレベル上げに勤しむより、文章を書くほうが僕は好きだから、こうしているに過ぎない。
 「ファイナルファンタジー」の世界で、「こんなゲームなんかやってないで、リアルに交流しようぜ」なんて言われても、「何それ?」って感じじゃない?

「ネットだけでの交流は不毛だ」
 不毛だからいいんだよ。
 世間で「趣味」と認定されているものの大部分、将棋や囲碁、スポーツ観戦、音楽…ほとんどすべてが、生産性に乏しいものだ。
 だからこそ気分転換になるし、愉しい。
 たとえばゴルフだって、あんまりいいかげんにやったらそれはそれでつまらないだろうけど、プロになろうと思って練習すれば、キツイことのほうがはるかに多いだろう。

 勘違いしないでもらいたい。
 僕は「オフ会」とかを否定しているわけじゃない。
 やりたい人はやればいい。
 でも、そういうのが嫌いな人間に対して「ネット上だけの交流は不毛だ」なんて言ってもらいたくないだけだ。

 人間のコミュニケーションの手段というのは、この数百年で劇的に発展している。現代では「電話」というのは重要なコミュニケーションの手段として誰もが認めるものだが、少なくとも電話が発明された初期には「電話で話しました」なんて言っても、誰もそれを「交流」とは認めなかったと思う。
 今では、「電話で話す」というのは、けっこう濃厚なコミュニケーションのひとつなのに。

 これからも、僕たちが「コミュニケーションの手段」と認める方法はどんどん増えていくだろうし、それに比例して、肉体感覚というのは軽視されるようになっていくだろう(もちろん、その反動として「実際に接触することの重要性」も語られることになるだろうけれど)。
 メール友達が、現代の「リアル友達」と同じような感覚になる未来だって、充分ありえるだろう。
 
 「じゃあ、あなたはどうしてサイトなんかやっているの?」とコミュニケーション重視派の人は言うかもしれない。
 実は、それは僕にもよくわからないのだ。
 たぶん、やっぱり何かを外に向かって表現したい、という欲と、面倒なことにあんまり巻き込まれたくない、という自己愛との綱引きで、ちょうどつりあっている場所が、今のところサイト運営なのだろうが。


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