マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

インターネットが変えていくもの。 - 2003年06月19日(木)

参考リンク「D-POINT」6/18「大きな夢」

 龍成さんのこの話を読んで、僕も慌てて机の中に入れたまま忘れていたドリームジャンボ20枚を発掘したわけなのですが。

 「歴史の転換点」とか「世紀の大発明」なんていうのを僕たちは学校で習ったりするわけです。
 で、自分たちの時代には、たとえば活版印刷であるとか、飛行機であるとか、電話であるとか、そんな画期的な発明なんてないよなあ、と思い込んでしまいがち。
 でも、今日、この宝くじの当選番号を調べるために「宝くじ協会」のサイトを開いて、「時代の変化」を突然実感してしまったのです。

 僕が子供のころ(というか、少なくとも5〜6年前くらいは、そんな感じだったと思うんだけど)、宝くじの当選番号は、新聞の片隅に載っているものでした。
 そして僕は父親が買ってきていた宝くじを当選番号と照合していたのです。
 ただし、それは当選番号が新聞に掲載される日に気がつけば、のこと。
 もし、うっかりそれを忘れてしまっていた場合、僕らは古い日付の新聞を当選番号を求めて漁りまくる羽目になるのです。
 宝くじっていうのは、買った時点でけっこう満足してしまうもので、意外と忘れちゃうんですよね。
 努力したら当たるってものでもないし(まあ、風水とかにこだわってしまう人もいるみたいだけれど)。
 
 ところが、今の時代は、ネットに繋がったパソコンが一台ありさえすれば、いつでも当選番号が確認できるのです。
 これは実は、すごく革命的なことなのではないかと。

 ネットの普及によって、僕たちは、贔屓の野球チームの途中経過を知るために嫌な巨人戦にチャンネルを合わせる、という拷問から解放されましたし、自分が、ちょっといいかな?くらいに思っている女の子や、いきなり電話するのも憚られるような、最近会ってない旧い友人ともコミュニケーションがとりやすくなりました。
 大なり小なり、メールの恩恵を受けている(もしくは、メールが破綻の一因となった)カップルって多いんじゃないかなあ。
 
 そして、ネットによって、今までは特定のメディア側の人間しか持たなかった(もちろん、草の根で活動していた人はたくさんいたんでしょうけれど、普通の市民にとって、そういう自己表現は敷居が高いものだったのは否めますまい)自分の意見や情報を発信することが可能になりました。
 まあ、他人が「受信したい」と思ってくれるかは別として。
 基本的に、現在のネットでは、「発信したい人」が飽和状態なわけですし。

 いろいろ書いてみたのですが、要するに、「インターネットというのは、実は歴史の転換点となるような大発明なんだ」というのが僕の感じたことなのです。

 しかしながら、最大の問題点は、ネットで当選番号を見ても僕が買った宝くじはかすりもせず、贔屓の野球チームの結果は、「見ないほうがよかった…」と感じることが多いこと。

 つまり、「どんなにコミュニケーションのツールが発達しても、物事の結果は変わらないことがほとんどだ」ということなのです。
 


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