マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

投げつけられる善意は、ときに僕をひどく落ち込ませるのだ。 - 2003年06月05日(木)

 今日は、とても厭なことがあった。

 先週末から僕の実家に電話をかけてもつながらないのだが、どうかしたのか?」という親戚と名乗る人からの電話が、僕の仕事場にかかってきたのだ。
 インターネットで調べた、らしい(ああ、厭だ厭だインターネットなんて!)

 もちろん、親戚といっても、声に聞き覚えはない。
 冠婚葬祭くらいでしか会ったことはない人で、「親戚の誰それ」と言われても、僕にはまったく記憶がないのだ。

 実家には姉がひとりで生活しているのだが、ほとんど連絡することはない。
 僕には僕の生活があるし、30過ぎたオトナどうしが、こまめに連絡しあって近況報告する必要性も全く感じていない。

 しかし、その「親戚」は、母親が亡くなったときから、3ヶ月おきくらいに実家に電話をかけてきて、姉と話していた、とのことだ。
 たぶん、「だいじょうぶ?」とか「元気?」とかいう話以上の内容は、何一つないと思うのだが。
 
 「いろいろ時間を変えて、朝早くとか夜遅くかけても出ないのよね」
 そんなこと言われても、僕にはわからない。
 ひょっとしたら急性心筋梗塞で、家で冷たくなっているかもしれないが、そんなに具合が悪ければ電話の一本でも寄越すだろう。
 他の兄弟からも、何も聞いていないし。

 その親戚さんは、「そんなこともわからないの?冷たい人」というような声で、僕に「何かあったら連絡して欲しいのよね。誰かが…結婚したりとか。そういうのって、面倒くさい?」

 思わず「はい。メンドクサイです、ほっといてください」
 という言葉が出そうになったけど、それを心の中に押し返して「そんなことないですよ、何かあったらご連絡しますから」と言って、電話を切った。
 仕事場の電話機じゃなかったら、叩きつけていたかもしれない。
 
 たぶん、その親戚の電話、「取らなかった」のだと、僕は思っている。
 僕だって、最近家の固定電話が鳴っても、受話器を上げることはほとんどないから。たいがいが勧誘とかセールスで、僕が話したい(もしくは、話してもいい)人間の電話は、携帯にかかってくるし、留守電を聞いて必要があればかけなおせばいい。
 これは、僕が独り暮らしで、仕事柄家にいる時間がほとんどないことも影響しているかもしれないが。
 もし留守電に入っていたとして、自分を憐れんでいるらしい親切な遠い親戚の「生きてる?」コールに、わざわざ電話をかけ返そうなんて思わないんじゃないかな?話すこともとくにないだろうし。
 
 そういうのが田舎の流儀なのかもしれないが、この親戚という人は、自分のやっていることは親切なんだ、という確信があり、「親切で心配している電話に出ないのはおかしい」と当然のごとく考えているのだろう。

 ああ、なんだかとにかくとてもとてもイヤな気分だ。

 僕は、身内にも恋人にも愛情が不足している人間だという自覚はある。
 兄弟もそれぞれ好きに生きているし、こまめに連絡を取りあったりもしない。

 僕は、のたれ死んでもいいから、放っておいてくれないか。
 



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