インターネットとリアルワールドのあいだに。 - 2003年05月29日(木) 結局、自分はネットに何を求めているんだろう、なんて考えたりする。 当直中にでもできる単なる娯楽、なのだろうか? よく、「日常世界では知り合えないような人と友人になれる」というようなことを書いている人がいるのだが、僕自身は、オフ会に出たことはないし、今後もたぶん出ないだろうと思う。 「テキストコンテスト」の最後の晩餐は、行きがかり上、出られるものなら出たかったのだけれど。 率直なところ、サイトで「この人とならトモダチになれる」と思う人の数は、そんなに多いわけではない。 たまには、書き込みなんかで「この人は、きっと実社会でも自分の話ばっかりする人なんだろうなあ」などと思うこともある。 サイトを持つこと、いや、掲示板に書き込みをすること自体がひとつの自己表現であり、自己顕示欲の発露ではあるのだが。 たぶん、大部分のネット上の人々は、現実社会では、サイト上での人格ほど饒舌でもなく、反社会的でもなく、正義感が強くもないと思う。 僕だってそうだ。 なんだか、僕はときどき怖くなるんだ。 近未来の人間には、「マトリックス」に支配された人たちのように、「現実」が必要なくなるんじゃないかって。 産まれてからすぐネットの使い方を覚え、ネット世界での出世を目指すのだ。 「そこにはリアルがない」とか言う人がいても、考えてもらいたい。 狩りも農耕もせずに、野球をやったり、書類を作ったりするだけで生きていける現代社会は、古代人からみたらバーチャルな世界じゃないか? 人間は年齢じゃないとは思うけれど、やっぱり30過ぎて「非モテ」とかいうのに付き合ってるのはちょっと辛い。僕は別にモテる男じゃないが、もう、そんなことはかなりどうでも良くなっているんだ。若者の「非モテ」とかいうのは、たぶん、「その時期」が来ていないだけのことが多いしさ。 おやつの時間の直前に、「はらへった〜」と騒いでいる子供みたいなもんさ。 いずれ与えられることをなんとなく信じつつ、空腹の海を漂う。 大人は、今食べられないと、もうこの空腹から逃れられないということを知っている。「はらへった〜」なんてアピールする余裕なんてない。 僕は「僕のことを構って!」と世界のこちら側で発信し、君は「私のことを構って!」と世界の向こう側で発信している。相手の話など、お互いに訊いちゃいない。 でも、二人はつながってると思い込んでる。 きっと、そんな思い込みをエネルギーにして、今日もメールは飛び交い、地球は回っている。 ...
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