マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

僕が戦争を嫌う理由。 - 2003年03月20日(木)

 イラクへの空爆が始まった。

 「僕の生きる道」で、僕は癌で落命するまで行き続けた中村先生に涙したのだけれど、
戦争というのは、若くして癌で余命一年を宣告されて死んでいくよりも、もっとあっけない死を大量生産しているのだ。
 流れ弾に当たって死んでしまう兵士や、誤爆で焼かれる民衆。難民となってしまい、感染症で命を落とす人々。
 これらの死は、中村先生の死よりもはるかに理不尽ではないだろうか?
 自分のことを愛してくれるパートナーもいなければ、生徒たちの尊敬も、医者の手助けもない死に方。
 
 人の価値は平等だというけれど、生まれてすぐ空爆に巻き込まれて死んでしまった赤ん坊は、果たして充実した人生とやらを送ることができたのだろうか?
 普通に病気で死ぬ人間だって、あるものには支えてくれる人もない孤独な死が訪れることだってあるだろうし(いやむしろ、「愛し愛されるパートナー」に恵まれる場合のほうが稀有だろう、違う?)、通り魔に遭って命を落とす人だっている。

ひとりの人間の「がんばって生きようとする」なんて小さな決意も叶わないほどの大きな力に押しつぶされる死が、この世界にはゴロゴロしているのだ。

僕は戦争が嫌いだ。
なぜかというと、戦争は僕に、そういった理不尽な死の実例を多量に提示し、僕自身もそういう理不尽な死に遭う可能性を上昇させるから。
そして、他人の人生を自分がそうやって理不尽に奪っていっているのではないか?
ということを考えさせられてしまうから。
少なくとも、日本という国は、アメリカ軍の巨大スポンサーなわけだしさ。
番組がどんなに評判悪くても、降りられないスポンサーだがね。

「守るべきもののためなら、死んでもいい」と思うことだってある。
 でも、自分が死なないほうがいいに決まっている。

要するに、自分が死にたくないし、他人を殺して厭な思いをしたくないから、
僕は戦争が嫌いなんだ。

 もちろん、普通に生きたって、理不尽な死に捕まる可能性は十分ある。
「死」そのものが人間にとっては、根本的に理不尽なものだし。
 
 「人間の盾」も結構だけど、僕がイラク人なら、「そんな覚悟があって俺たちを守ろうとするのなら、一緒に武器を持って戦ってくれよ」と思うんじゃないかなあ。
 戦場の人間がほんとうに望んでいるのは「生き延びること」であって、「平和」は、そのための手段にしかすぎないのだから。

 
 戦争より平和なほうが大部分の人類にとっては良いことだ。
 それは、平和なほうが「生きる」選択肢が広がるから。
 でも、世界には「戦争になった方が充実した生を過ごせる」と考える人たちもいる。

 結局、「命の価値」なんてものは、平等ではありえないのかもしれない。



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