マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

「伝わっている」という幻想の向こう側。 - 2003年03月18日(火)

 たとえば、僕が彼女に「きみのことが好きだ」と書いた手紙を送ったとしようか。
 彼女は、いったいどう感じるだろうか?
 「ああ、この人は私のことが好きなんだな」と思ってくれるかもしれないし、
 「もっと、気の利いた言い回しはできないの?」と思うかも知れない。
 あるいは、
 「好きだって言ってるけど、『大好き』じゃないのね」かもしれない。
 そんなの考えすぎ、って言われるかもしれないけれど、少なくとも、僕が伝えようとする「好き」と彼女が受け取る「好き」は、全く同一のものではありえない。
 それは、2人が裸で抱き合って愛を囁きあっていたとしても、変わることのない現実。
 「100%伝わっている」というのは、幻想にすぎない。
 
 「僕は、なんでこうして「伝わりもしない」文章を書いているんだろう?」
と最近よく思う。
 誰かに読んでもらいたいから?褒めてもらいたいから?暇つぶし?

 自分でも、よくわからない。
 もちろん、褒めてもらったり、感想をもらったりすると嬉しいけれど。
 ひょっとしたら、この世界のどこかに「伝わっている」のではないか、という希望にとりつかれているだけなのかもしれない。
 
 ほんとうは、大事なことは「信じること」なのかなあ。
 恋人たちが、同じ方向を見ているように感じるのは、お互いを信じている、もしくは信じようとしているからだ。
 ほんとうは、「好き」なんて言葉は、「信じてる」もしくは「信じたい」の言い換えなのかもしれない。

 とかく「伝えること」がコミュニケーションだと僕たちは思ってしまいがちだけれど、実際は「伝えようとすること」もしくは「伝わると信じること」そのものがコミュニケーションなのだ。

 もしもし、聞こえますか?僕はここにいるよ。
 
 僕は、ずっとずっと、「ここ」がどこかを説明し続けている。
 ずっと、ずっと。



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