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■ 実感がない
悲しんだり怒ったり悔しがったり、つまらないと感じたり、ちょっと嬉しかったり楽しかったり、笑ってみたり…
まだ、そんな風に思えてるうち、感じていられるうちは大丈夫なんです。 乖離してしまって、ここに自分が存在しない状態になるっていうのが、ほんと困るんです。 感じないというより、存在として実感がない。
被災者の人もインタビューで答えてる方いましたね。 似た感じなのか、またちょっと違うのか、私にはわからないけど。
悩むことができたら、まだいいよね。 まだ楽だよね。 悩んでもどうしようもないことがあって、悩みようのない悩む以前の問題… 逃れようのない生…
だから私の場合、わざわざ新たなストレスを作り出し、一生懸命悩もうとする。 痛みや苦しみを感じさせることで、自分自身の存在を感じようとする。 逃れようのない本質から、一時的にでも目を逸らさせるために…
誰かのためになんて…そんなの偽善だし。 自分の存在を感じたいだけだし。 自分の価値を確かめたいだけだし。 そんなのありがた迷惑だし。
人の不幸を、自分のイベントにすんなって感じだし。
時が止まったまま… わかるって言ったらあれだけど、私もなんか止まったままなんだよね。 今さらながら、尾崎豊の歌に共感してみたり…
『人を傷つけることに 目を伏せるけど 優しさを口にすれば 人は皆傷ついてゆく 〜〜〜〜〜〜〜〜〜 慣れあいの様に暮らしても 君を傷つけてばかりさ こんなに君を好きだけど 明日さえ教えてやれないから』
2011年05月12日(木)
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