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■ ハンセン病社会復帰者との忘年会
友人に誘われて、先日参加させてもらいました。
私はあの忘年会で、1人の回復者の方とはほんとにじっくり話を聞いたんですけど、文章にまとめるのは難しい…長い長い間の辛苦・苦闘、凛とした強さ・優しさ。
話していて不思議だったのは、私の方が温かく包まれる感覚になったこと。 また会いたい、そう思わせてくれる方でした。
何か支援だとか、そんなおこがましいことは言えない。 ただ、そばにいさせてと、こちらがお願いしたい感じでした。
でも、思ったのは… ああ〜もう裁判は終わったし?、この人たちが長年頑張ってきて結果が出て、世間の人たちにも少しずつ知れ渡ってきている、この時にチョコッと呼んでもらってるだけで、今の私に何ができるんだろう?何をすればいいんだろう? 実は何もできることなんかないのかもしれない、なんて悩みました。 話を聞くことぐらいしかできないけど、そんなことだけで果たしていいのかどうかもわからないし。
弁護士の方がいろいろ教えてくれたんですけど、回復者の中には未だに病院が怖い、世間が怖いという思いで、引きこもり病院にも行けないという人が多いと聞きました。 ハンセンの後遺症ではなく、成人病などの病気を患っているのに、病院に行けないと。
また回復者にお聞きした話では、知識としてハンセン病のことを知っていても、実際には、どのように手がしびれてるとか、どうなのかとかわからないでしょ?と。 医療従事者でも、それがわからない人が多いと。
手や顔に障害?が残っている人もいれば、見た目わからない人もいる、元気そうに見える人もいる。 だけど、本当のところはわからないでしょ?と。 それをわかってほしいと訴えておられました。
実は、あの場に出てきている人に支援はいらないんですよね。 支援という名のものは。
ただ国や社会や世間の人々が、その人の人生を奪うほどの恐怖や絶望を与え、それにより未だに苦しめられている人がいて、隠れて生活することを余儀なくされ、孤独の中にいる人がいる。 弁護士の方は、世間はこんなに変わったのに、認識がまだ昔のままなんですと言われた。 でもさ、それはさ、その人のせいなんかじゃなくて、皆がそうしたことでさ。 きっと、二次被害的に傷つき疲弊してきたこともあったんじゃないかと、勝手に想像もめぐらせるわけで。
社会の責任です。 自分たちの責任です。 戦争にしても何にしても、普段、自分は関係ないという顔して生活している私たちですが、でもその責任は私たちが負わなければいけない問題で、全然関係ないことではなくて、自分たちの問題として考え、何かをしなければいけないような気がする。
でも実は、なんやかんや助けられているのは、そんなの関係ねぇ〜と暮らしている私たちだったりすると思うわけです。 話してみて切に思ったけど、実に頼もしい人権の闘士なんですよ、あの方々は。 おお〜金魚の糞でもいいから、ついて行きてぇ〜 そんな感じです。
2008年12月21日(日)
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