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■ 母のこと
母は昭和18年の戦中生まれで、台湾で生まれました。 ビルマに戦争に行っていた祖父が、台湾で日本人女性と結婚し生まれたのが母でした。
戦後、台湾から日本に引き上げてきて貧しく苦労して、祖母は母が11歳の時に病気で亡くなったらしいです。 母には年の離れた幼い妹と弟がいました。 叔父はまだ赤ちゃんで、祖父は生活のために働きづめだし、母は中学にもろくに通えず、妹と弟の面倒を見ていたようです。
母は住み込みで働きながら看護学校に通っていたようですが、祖父たちと離れて暮らしているのが寂しくなって、また職場と学校の厳しさに耐えられず中退してしまったようです。
苦労はしてるけど、特に虐待らしきことはなかったようなんですけどね。 叔母と叔父は、普通に心優しい人で私は大好きでした。 祖父もほんとに温かな優しい人でしたよ。
母だけが他人に厳しく、冷たい感じの人でした。 叔母も叔父も、その辺はちょっと困っているようでした。
そして父… 父はもっと複雑な家庭で育った人なんです。 これは追々に。
幼い頃から、親の代わりとしての役割をずっと担わされてきて、甘えるということを経験してこなくて、それで母だけちょっと歪んでしまったのかなと思います。
記憶が曖昧なので、もし間違っていたらごめんなさい。 以前、TVでナチスドイツで強制収容されていた生き残りの方の半生をドキュメントで紹介している番組があって、その女性は幼い時に姉妹で収容され、両親は別々の収容で死に至り、一緒に収容されていた姉?も亡くなり、彼女だけ生きて保護されたんです。
その後、成人して結婚し、子どもも3人ぐらいだったか産み育てるんですけど、壮絶な体験の後遺症なのでしょうね。 子ども達に対して、ものすごく冷たい母親だったそうです。 3人とも、母親の元から去り、2度と会いたくない、親とも思っていないと言って、TVではコメントを託しただけで、インタビューにも現れませんでした。
子ども達は、歴史としては母親の壮絶な体験を知っているけど、それでもどうにも超えられないものを抱え、子ども達も傷ついて、母親の元から去っていったんです。
本人は収容所から解放されて以来、全く笑うことができなくなったようで、能面のような表情でインタビューに答えていました。 専門家の治療も受けているようでしたけど、だからといって失った感情?人格?は取り戻せていないようで、成人した子ども達は怒りと失意のうちに、母親の元から去っていきました。
せつないですね。 でも、その子ども達の気持ちもわかる…
2008年08月19日(火)
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