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2024年09月06日(金) 蒼天抗露(6日目)エストニア・タリン(1日目)

 朝食後ツアーバスに乗り、エストニアへ。
リガの町に別れを告げるが、川沿いにバスの車窓から共産アート剥きだしの像が見える。添乗員氏曰く、「1905年に起きた市民デモの記念碑です。」

 1905年といえば日露戦争。当時の日本は、当時まだ帝政ロシアに支配されていたバルト3国の民族運動を支援することで、帝政ロシアを背後から揺るがし、戦争を有利に進めようとしていたことはどこかで聞いた。こんな共産趣味な像だけど、この像で表現された市民デモというのは、日本が秘密裏に支援したからデモという形で結実した可能性が高い。勿論、当時の日本としては、帝国支配下の民族に同情して支援したわけではなく、ロシアに勝ちたくて、後方攪乱してもらいたくて「投資」したに過ぎないんだけど。でも、それでも、日本が彼等当時の運動家に「投資」しなければ、そもそもデモは起こらず、鎮圧され犠牲者や逮捕者が出ることもなかっただろう。そしてこの像がここに立てられることもなかった。

 全人口の3割が住む首都リガだが、30分も走ると道路沿いには物流センターが点在する郊外となり、やがて、見渡す限り建物が見当たらい畑、牧草地、平地林の繰り返しとなる。たまに池や沼が見えるが、水面にジャンプ台らしきものが設置されている。ラトビアではレジャーとして水上スキージャンプが流行っているのだろうか?

 2時間走って国境。ガソリンスタンド併設の店舗があり、休憩。ここで、杉原千畝館で遭遇した、他社のツアーバスにまたしても遭遇。ああ、また会ったね。帰国日も同じなんだよねと会話を交わす。

 さらに2時間走って首都タリン到着。旧市街の一番高い場所でツアーバスを降り、次第に下町へと降りていくという高齢者に嬉しい徒歩観光となっている。石積みの城壁や見晴らし台、アーチの門など中世の城歩きを楽しむ。(脚注6)

 二の丸へと降りていく。坂道の途中にデンマーク国旗柄の盾をまとった騎士の立像があり、添乗員氏が由来を説明する。中世のある日、空からデンマーク国旗が降ってきて、だからこの都市は我々デンマークのものだと言ってデンマーク軍が攻めてきた云々。無茶苦茶な言いがかりだ。

 石垣の下の地面に蕗が生えている。緯度では北緯60度近い場所でありながら、北海道に生えるような巨大なものではなく、関東あたりで見かけるのと同じサイズ。不思議だ。蕗が生えていること自体知らなかったが、北に行けばいくほど大きくなるはずの蕗が何故、関東あたりで見るサイズと同じなのか?単純に緯度だけでなく、年間平均気温とかが関係しているのか?そもそも、地元の人は蕗が食べられることを認識しているのか?知らないのなら一度食べさせてみたい。果たして顔をしかめられるのか、気に入ってくれるのか?

 聖ニコラス教会。今では祈りの場ではなく博物館となっており、入場ゲートを通過して参観。ここには、世界史の教科書で「ペストの災禍」の説明の挿絵としてしばしば使われる「死の舞踏」が所蔵されている。髑髏と人が踊っている=死は常に隣り合わせ という強いメッセージを込めた絵。撮影可とのことで遠慮なく撮影。

 一見すると一種の茶室?それとも聖徳太子の玉虫厨子(国宝。仏教に関する貴重なアイテムを収蔵するための、家を模した形の特別な容器)のようなもの?と想像したこの遺物は、説明を読んだところ「貴賓用洗礼室」
きっと、ゲティミナスのような異教の王とかがこの中に入って聖職者から水をぶっかけられたのだろう。

 キリスト磔刑を描いた作品の額縁の更に外側に、壁に取り付けた門のようなつくりの装飾がある。その門柱の装飾が、まるでマヤ文明の神々を思わせる。様式化された、顔だけの奇怪なライオンと、それを取り囲む、極度に様式化された草木。これらは、主題である「キリスト磔刑」の絵を引き立たせるために制作されたことは想像に難くないが、何故このような奇怪な表現となったのだろう。

 ほかにも、羽なしの天使が首だけの天使を踏みつけているように見える奇怪な構図の装飾用彫刻。天使の周囲は唐草模様。何を訴えたくてこういう表現になったのだろう?

 振り返れば、仏教美術も、予備知識・解説なしでは一般人には理解不能なものが多い。どこかで解説なり予備知識を手に入れればきっと、これらキリスト教美術に関しても、制作者の思いを理解できることだろう。だって作ったのは人間なんだから。

 そして、この博物館が教会だった時に、普段は折りたたまれ、御開帳の時だけ信者に見せたという祭壇画。ここでの添乗員氏の毒舌ぶりは冴えわたっていた。「この祭壇画を、庶民に見せるんですよ。偉い聖職者の一生だと言って。右の方には異教徒を処刑する場面が描かれているですよ。中世で文字も読めない庶民は洗脳されちゃうんですよね。異教徒を処刑するのは正しいことなんだ!ってね」

 さて、大戦で尖塔が壊されたこの教会、いや、博物館は塔復元時にガラス張りのスケルトンエレベーターを塔に設置。中世宗教美術と石棺(石棺の蓋に彫刻が施されているため、いくつか展示されていた)に囲まれた空間と塔最上階を結び、見晴らしを楽しめる。このシュールなエレベーターの設置を考えた人、そしてその設計案を許可した人に拍手を送りたい。

 二の丸の中央には広場がある。公共の水道の蛇口から水がポタポタと滴り落ち、下には受け皿が設置されている。どうもこれは小鳥の水飲み場として受け皿を置いているらしい。微笑ましい光景だ。

 広場のそばにはアレがある。そう、露大使館。柵は抗議の掲示物でいっぱいだったが、以前テレビで見たときに見覚えのある掲示物もあった。テレビ放送が半年以上前だから、その時とあまり変わっていない印象。そして、歩行者の多い旧市街にありながら、やはり、リアルタイムで抗議している人を見かけなかったことは残念だった。

さて、ホテルの部屋は11階。窓が開けられる構造になっておらず、熱がこもって外より暑い。仕方なく冷房を入れる。

 夕飯はホテル内にいくつかある食事会場でバイキング形式。今回この食事会場に案内されたのは我々20人足らずの日本人ツアー客だけなのに対し、白いエプロンをつけた給仕の若い女性の数が多い。食べた皿はすぐに片付けられてしまう。サラダを盛って、ドレッシングかけすぎたので、食べた後もう一回生野菜を盛って、皿底に残ったドレッシングで食べようとか考えていたら、給仕に速攻で持って行かれた。

 添乗員氏、事前に我々に、「笑顔で接客ってのは日本だけです。スマイルに期待しちゃダメです。仕事なのに何で笑顔をふりまかなきゃいけないの?という意識です。特に、エストニアはフィンランドと同様、その傾向が強いです。」

 今回の給仕の女性陣、ひときわ無表情、というか、まるで何かに不満があるかのように、皆むっつりしている。

 ドリンクコーナーに、機械式の牛乳サーバーを見つけ、牛乳を注いでいたら、ひとりのむっつり女性給仕が、きつく注意する口調で私に向かって何かを叫ぶと同時に私から牛乳の入ったガラスのコップを奪い取った。そもそも言葉が分からないし、何故注意されたのか訳が分からない。ガラスのコップの隣には紙コップもある。「あなたは私にこのコップを使えと言いたいのか?」と英語で問い返すも給仕は無言。ミネラルウォーターのサーバーから紙コップに水を注ぎ、先程私から奪い取った、途中まで牛乳の入ったコップとともに、突き返すように私に渡した。そして、牛乳サーバーには立て札が立てられた。使用不可ということは分かった。しかしなんでそんなにも強い口調なのか?

 こちらの国には「冷たい牛乳というものは、朝食にしか飲まないもので、夕食のお伴に冷たい牛乳を飲むというのは非常識な行為である」という文化的「常識」があって、彼女の目には私が「常識」をわきまえない野蛮人として映ったのだろうか?

 正解は分からずじまいだったが、そういうことでなければ彼女の強い口調は説明がつかない。

(脚注6)
撮ったスマホ写真と旅行日程表によれば、訪れた歴史的建造物は順に
1,「トームベア城」、「地球の歩き方」でも「城」と書かれているが、実際のところ、旧市街の中に存在するひとつの「建物」で、役所として使われていたという説明だったような。入口にエストニア旗とともにウクライナ旗が掲げられていた。外から見ただけ。
2,ネフスキー聖堂。〜スキーという名称から気付く方も多いと思うが、ロシアが支配していた時代に建てられた露正教会。写真は撮っていない。本堂の中に入った。出口のあたりにはお土産が売られていて、イコン(聖画)とか売られていた。古代ローマのフレスコ画の面影が漂うイコン自体は好きだが、Zを支援してしまうことになるかもしれない買い物をする気はないので買わずに素通り。


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