蜜白玉のひとりごと
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家での療養に何か問題があるとインターネットでとにかく調べる。そこで誰かのブログに行きあたることがある。少し読んで気にいるとブックマークしておいて、あとで過去までさかのぼってまとめて読む。
いろんな病気、いろんな家族。地域も年齢もバラバラだ。それぞれの立場でみんな苦労している。でもやっぱり共感するのは娘が親を介護しているパターンで、24時間寝たきり、胃ロウ、しゃべれない、とくればものすごい親近感がわく(そういう問題じゃないか)。
介護ブログを読んで私は元気をもらう。たとえそれが愚痴ばかりのブログであっても、その気持ちがよくわかるから、嫌な気は全然しない。そうでしょ、そうでしょ、もっと言ってやってよ!と心の中で息巻く。愚痴りつつもふと悲しくなって涙が出るのも、もうすごく憎たらしくてイライラするのも、物に当たるのも全部、すごくよくわかる。
でもいくつか追いかけて読んでいるブログの人たちと私とで大きく違うのは、おおかたの人は親のことが大好きで、とにかく1秒でも長生きしていてほしいと思っているらしいところだ。残念ながら私はそうは思っていない。そのことが私の介護に対するやる気をそぐ原因であることもわかっている。残念なことに父の介護を続けていくうちに、父のことがどんどん嫌いになってきている。自分でも、私ってこんなにお父さんのこと嫌いだったっけ?と思うくらいに疎ましく思うことがある。嫌いだと気づいてがっかりする。自分を育ててくれた親のことを嫌いだなんて、いい気がするわけがない。
小さい頃は父のことは嫌いではなかった。大好きと自覚したことはないけれどふつうに好きだったんだと思う。平日は仕事が忙しく、休日は趣味に忙しく、よって父はあまり家にはいなかったけれど(母はずっとそのことを怒っていた)、まあ、いればいたで楽しかったし、いなくてもそれは仕方のないことだった。ただ、休日なのに父が一人で出かけたせいで母が不機嫌なのは困ったし、それは父のせいだとも思った。もしかしたら私は父のことがあまり好きではないのかもしれない、とはじめて気がついたのは中学生のときで、これは我が家の暗黒時代のはじまり(だと私が認識している時期)と重なる。このとき、私が今みたいに親に対して遠慮なくもっとバシバシ思っていることを言えばよかったのかもしれない。でも中学生じゃ、ただの反抗期と思われるのがオチか。父は何となく家族から遠ざかり、母はやんわりとふさぎこんでいった。なんか変、と感じたところであのときの私に何ができただろう。それから先もそれなりに仲良く協力して「家族」をやってきたけれど、父の少し家族に対して腰の引けているような、まともに向き合わないような、でも威張ったり、急にはしゃいだり、芯のない、なんか変ではっきりしない感じは消えなかった。父はあまりにも自分のことを話さなさ過ぎたのではないか。政治や経済について持論をとうとうと話すことはあっても、自分自身のことについてはほとんど聞いたことがない。
家族とは言え「自分」じゃない「他人」の集まりだ。話さずにわかることなんてほんの少ししかない。言葉にしてこそだ。その点は私は譲らない。父が母を苦しめたのもそれに通じると思っている。このことは話せばまだまだ長い。
今、父が全く意思疎通ができないのであれば、たぶんここまで父のことを嫌いにはならなかったと思う。父の意思表示はまどろっこしいけれど一応できる。父はそのまどろっこしい意思表示で、指図と文句と苦情と愚痴しか言わない。父から発せられるのは徹底してマイナス感情ばかりだ。父が文字盤を通じて発してくるたくさんの言葉は私からやる気を吸い取る。父が文字盤を取ってくれというそぶりを見せるとドキリとする。また文句を言われると予感して心臓が冷える。
ありがとう風なジェスチャーは左手をぴらっと上げる、それも視線はテレビを見たままだ。そして私が帰るときになって、両手を合わせてすいません的なジェスチャーをする。好意的に解釈するならこの部分しかない。
私もお父さんのことが好きだったら、介護も笑ってできるのか。それもまた疑問だ。
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