蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2009年10月22日(木) 割に合わない

やれやれ。

再び実家での介護生活がはじまり一週間が過ぎた。入院前に比べて夜に起こされる回数が増えた。ひどいときは15分毎に呼ばれ(マジあり得ません、こんなの)、ベッド下方にずり落ちた体を引き上げてほしいと言われる。父は呼吸苦のためベッドのギャッジアップ(背上げ)を常に50度以上にしていなければならない。数分たりとも倒せない。もうこの何年も平らに寝たことはない。昼も夜も寝るときもずっと斜めに起き上がった体勢でいる。当然足先の方へ体は滑るわけだけれど、足元のベッドボードは痛いのではずしている。足の裏で自分の体重を支えることができないのだ。ずり落ちては引っ張り上げる、その繰り返し。昼間も引っ張り上げるけれど、せいぜい1時間に1回だ。なぜ夜間はこんなに頻繁なのかとたずねると、不安だから、という答えだった。15分毎じゃ私も寝られないが父だって寝ていないだろう。10時半頃に睡眠導入剤を入れたところで寝ないのであれば、ただでさえ力のない手足が余計にへにゃへにゃになるだけで、ベッドの上でもごそごそもぞもぞと落ち着きがない。ごそごそもぞもぞすればもっとずり落ちる。自分で上がれないから呼ぶ。その繰り返し。動かないでじっとしていればそんなにひどくずり落ちもしないし眠れそうなのに、と思うのは勝手だろうか。

そして父は昼間テレビを見ながらウトウトする。私に足のマッサージをさせながらウトウトする。割に合わない。これではこっちが先にまいってしまうのではないか、と背筋がぞっとする思いがする。私が東京にいる間は妹が同じ目にあっている。そのことを遠くから思い案じるのもまたつらい。

昨日、厚生労働省の在宅医療に関するアンケートに答えた。父の病気は一般の人はおろか、おおかたの医療従事者にすら理解されない。このことが私たちの在宅介護を根底から不安の強いしんどいものにさせている。医師、看護師、その他の専門家であろう人たちに話してもわかってもらえない。家族が説明してもわかろうとしない。だって知らないから。しかもわかってもらえないどころか誤解されて誤った処置をされそうになる。書いていてそのことに改めて思い至った。

選択肢に○をつけるいくつかの問いのあと、最後に自由記述欄があった。在宅医療で感じること、それは拠点病院のバックアップが貧弱すぎることだ。往診医に対するバックアップも、家族に対するバックアップも。何かあったとき(患者が急変、介護者が病気など)、主治医のいる専門病院が必ず引き受けてくれるならいい。でも断り兼ねないことをいつも言葉の端に乗せてくる。他に診てもらえるところのない患者を専門医が断ったら、いったいどこへ行けというのか。本当はこわくて在宅介護などできない。

今、実家に来てくれている往診のY先生は神経内科の専門医ではないけれど、よく勉強してくださっているようで、なんとか父の病気のことをわかろうとしてくれる。でもそれは先生の人柄や向上心によるものなので、同じことをその他の病院(地域の総合病院や救急病院)に求めても無駄なのだ。「わけのわからない病気」、と一蹴されてしまう。うちでは診れません、うちでは預かれません。安請け合いされても困るけれど、門前払いもどうなのか。

往診のY先生はわがままな父に喝を入れてくださることもある。父よりずっと若いのにすごいことだ。父も母もY先生を「専門医じゃないから」という理由であまり信頼していないようだけれど、こんなに恥知らずでもったいないことはない。私はたとえ完ぺきでなくてもY先生が父の在宅医療をはじめるにあたって往診医を探しているとき、二つ返事で関わってくださったことに感謝している。いろいろ事情がわかってきた今となっては、たくさんの不条理の中にあってごくわずかな光りのさす出来事のひとつだったのかもしれない。


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