蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2008年12月16日(火) もっともだ、もっともだ

伊藤比呂美著『女の絶望』の残り1節「さいごはかいご」は衝撃的だった。私がこの1年くらいずっと考え続けて最近ようやくたどり着いた答えとほとんど同じことが書かれていて、ああよかった、間違ってはいなかったのだな、もっと別の考え方もどこかにはあるかもしれないけれど、これはこれでひとつの到達地点なのだな、冷淡なようだけれどこれはこれで成り立つのだな、と安堵する。同じところを何度も繰り返し読んではうんうん頷き、しまいには横でテレビを見ている相方を捕まえて、私間違ってなかったよ、同じことが書いてあったよ、と今にも音読して聞かせようとするくらいに興奮した。

冷淡というのは、たとえば情の厚い親戚のおばさん相手に今の私の考えを聞かせるとしたら、たちまちそんな縁起でもないこと、育ててもらった立場でよくそんなことが言えるもんだとでも非難されそうな、という意味の冷淡で、でもやっぱりどう頭をひねっても、心中でもしない限り最終的にはひとりひとりの寿命があって、みんな死ぬときはひとりなんじゃなかろうか。まあそうは言っても親とか配偶者とか兄弟とか、場合によってはとても仲のいい友人とか、相手によってはその過程に付き合えるところまで付き合おうという心の準備はある。気にはかけるし面倒もみる。でもそのことに引きずられて自分まで壊れたり、人間関係が失われたりするのはどこかおかしな話なのだ。できれば仕事を辞めることなく、当然自分の家庭は壊すことなく、もっとも根本の自分を見失うことなどないように。

これに似たような話をずいぶん前に私は目にしていた。

一番大切なのは自分
二番目に大切なのは自分の同居家族
三番目に大切なのは離れて暮らす親

今になって身にしみてこの言葉の意味がわかる。親が具合が悪くなった直後はなんとかしなきゃ!で我も忘れて奔走する。自分のことなどそっちのけでとにかく動くしかなかった。最初の大波が過ぎ去り、在宅介護のスタッフも決まり往診の先生も見つかり、ほころびは多々あるにせよなんとか在宅で父を看られるような状況が整った。それからは、徐々に病気が進行し具合が悪くなっていく父と体調に浮き沈みのある母を遠くから心配するだけの、いつまで続くともわからない遠距離介護生活に突入した。このときもまだ、父の苦、母の苦を思うと自分のことなど考えてはいけないような気がしていた。

でも離れているがゆえの苦労もある。心配や不安は尽きない。直接手を貸してやれることは限られている。そう思って親の方ばかりに手をかけていたら東京の自分たちの生活がまわらなくなる。お金もそうだけれど、気持ちがすさむのがいちばんよくない。問題は時間と体力だ。そのどちらにも限界がある。

休日のたびに(妹と交互に、もしくは妹と一緒に)実家に行く生活を続けてみるとやっぱりそのうち疲れが出てくる。使命感だけでは体も気持ちもついてこなくなるときがある。自分が倒れては何もならない。自分が元気であってこそ、すべてが成り立ちまわっていくのだということがひしひしとわかる。「介護とは言え仕事を休むなんて」「たまの休日にも自分の家のことはほったらかし」「自分の親なのにろくに面倒をみてあげられない」など考えてみればあっちにもこっちにも負い目だらけで、それを克服しようとつい無理をしがちだけれど、そこはぐっとこらえて、どんなに非難されようとも周りにわかってもらえなくても私はこの考えで動いていきたい。すべては誰のためでもない、自分のために自分で選んでやっていることなのだ。

(一番目二番目三番目の話:NPO法人パオッコ 〜離れて暮らす親のケアを考える会〜 太田差惠子さんのお話より)


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相方と結婚したときになんとなくふたりの努力目標みたいなものを決めた。これから生活していく上で大切にしたい心がけのようなものだ。それは「折り合いをつける」ということ。ふたりの間で折り合いをつける、双方に歩み寄るというよりは、自分たちとそれ以外の周囲とで折り合いをつける、ということを想像して口にした言葉だったと思う。ふたりでよく相談して、できるだけ周りとうまくやっていこうということだ。妥協ばかりのように聞こえるかもしれなけれど、すんなり飲み込めないようなことも自分たちで話し合って「折り合いをつける」べくして取った選択ならば、それほど後悔もないだろう。今じゅうぶんにそれがいきている。


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