蜜白玉のひとりごと
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| 2005年11月17日(木) |
諦観の先で全てを許す |
風邪気味、貧血気味に加えて、精神的にちょっと疲れてきたので、ここらで息抜きをしておかなければ、と思い仕事を休む。
昨夜、相方に言われるまですっかり忘れていたけれど、今日はボジョレヌーボー解禁日。午前中、掃除洗濯をすませて買い物に出る。近所のスーパーにはいつものが置いてなかったので、新宿まで足を伸ばしてジョルジュデュビュッフ社のボジョレーヴィラージュを買う。街はすっかりクリスマス色で、そこかしこがキラキラと温かく美しい。そして平日昼間は人がとても少ない。みんな今は働いている時間なのだ。私はひとりこうして街をスタスタと歩き、てきぱきと用事を済ませ、気に入りのショップをいくつかのぞき、少しずつニュートラルな自分に戻っていくのを感じる。なんだ、私まだ平気じゃん。
主に職場でのことだけれど、腹の立つこと、悲しくなること、イライラすることが何度も起きる。真面目に取り合うのもバカバカしいから放っておこう、怒るまいと思っても、なかなか昇華しきれない。あることないこと疑われ、バカにされ、信用されず、都合の悪いことは全てこっちの責任。まあよく次から次からあるよなあ、と思うくらいなのだ。この数週間は特にそれがひどくて、本当にこの人たちは人間として一体どうなっているのか???と疑いたくなるくらい。普段めったに怒らない私も、今回ばかりはマジでぶち切れて、ええい、こんなところ辞めてやらあ、とも考えた。
でも今朝、目が覚めてトイレに行ったとき、何だかそれら全てが取るに足らないことで、全部許そうと思えば許せてしまうのではないかな、とふと思い立った。
例えば、変な言いがかりをつけられた上に仕事を奪われてしまうのならともかく、今のところはそこまで深刻ではない。もちろん腹が立つことに変わりはないけれど、一方で何かを主張したり説得したりして、相手の出方を変えたいわけでもなければ、形だけの謝罪をしてほしいわけでもない。向こうもこちらもそれなりの年齢で、その歳でそういう態度しか取れないような人には、もう何を言っても無駄なだけだと知っている。
簡単に言えば、諦めるのだ。その人が今よりいい人になることを諦めるのだ。心をくだいて話をするような相手ではないのだ。ここまで言い切ってしまうのも酷だけれど、つまりそういうことなのだ。とても冷たく残酷な気持ちかもしれない。でもその人が私に対してすることを諦観の先で全て許すのだ。
いいのいいの、別に謝ってもらいたいわけでもないし。
謝罪の言葉を聞いたとしても、私の気持ちにはそれほど大きな変化はない。してやったりとも思わないし、その人がそれで何かが変わるとも思わない。そんなことよりも私にとって一番大切なのは、心を安寧に保つこと。やわらかい笑顔でいられること。大切な人たちを守ること。いい時間を過ごすこと。怒ったり主張したりすることよりも、ずっと難しく奥の深いことだと思う。
狭いところにいると周りが見えなくなる。こんなはずじゃないとわかっていても、どうにも動けないことがある。完全に壊れて動けなくなる前に、一回休憩すればいい。そしたらまたがんばれるかもしれない。それでもだめなら本気でその場を離れよう。
なんだ、私まだ平気じゃん。そう思えたから、また明日からがんばれる。
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