蜜白玉のひとりごと
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『文藝』春号の角田光代特集を読む。江國さんとの対談「恋する者はいつも荒野にいる」と、角田光代ロング・インタビュー「文字をおぼえて作文を書いたとき世界への回路が開かれた」をそれぞれじっくりと。
どちらも写真が多い。対談はどこかの喫茶店で、インタビューは角田さんの仕事部屋で行なわれている。友達の部屋みたいにも見える仕事部屋には、明るくポップなカーテンと、隅っこに机。机の上にはノートパソコン。いつもここで小説を書くのだ。9時から5時まで「封入作業のように淡々と」書く。作品と本人のイメージがあまり重ならない。
対談で「感情のベース」と「行き止まり」の話がある(以下、対談より抜粋)。
江國:私も、この間角田さんに聞かれるまで、まったく感情のベースというものを考えたことがなかったんですけど、それからちょっと考えるようになったんです(笑)。でも、自分で「淋」と答えたあとでその通りだと本当に思って。やっぱり、そこがいちばん落ちつくんですよね。『ウエハースの椅子』というのを書いたときに、あれは本当に恋愛だけの話を書きたくて、しかもお互いは別に浮気をしたりはなくて「愛してるよ」「愛してるわ」と言い合っているから、破綻しないはずの二人なんです。でもそうすると結局行き着くところは主人公の女のベースで、それはあの小説の中では「絶望」と書いたんですけど、やっぱり「淋」というか、すごい茫漠とした感じで、そこは解決がなくて、別にこうしてくれとか、ああしてくれとか、こうなればハッピーなのにというのではない、行き止まり――そうそう、あれは「行き止まり」という言葉もいっぱい出てくる小説で、そうなんだなと思いました。
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『ウエハースの椅子』は近年再読していないので、どんな話だったかすでに忘れかけている。「行き止まり」「絶望」、何かが心にひっかかる。今ならこう思う。仮に行き止まりまで行ったとして、もうこれ以上先に進めないとわかったら、そのときは思いきってくるっとまわれ右して、また来た道をふたりで戻ってくればいい。行きと帰りの景色が違って見えるように、以前は気がつかなかった何かが見えるかもしれない。
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