蜜白玉のひとりごと
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| 2005年01月04日(火) |
アルバム/『庭の桜、隣の犬』 |
相方は今日から仕事。私は5日まで休み。ふだんは朝いっしょに出勤するのだけれど、今日は私が家に残って相方を送り出す。こういうのもいいなあとひそかに味を占める。
掃除洗濯を手早く済ませて、今となってはうちの大家さんでもある祖母に会いに、千葉の伯母の家へ行く。地下鉄に乗って1時間半、終点まで行く。地下鉄は途中で地上に出る。伯母の家に電車で行くのははじめてだ。それなのに窓の外はどこか見たことのあるような景色が広がっている。駅に止まるたびに人が降りていく。かわりに乗ってくる人はほとんどいない。終点のひとつ前で、その車両に残ったのは私ひとりになった。
駅まで迎えに来てくれていた伯母と合流し、車で伯母の家へ。家に着くと、祖母は外の階段にちょこんと腰掛けて待っていた。その姿がとても小さく、ほんの少しさびしそうに見えた。それもそうだ。何十年も住んでいた土地を離れて遠くへ移り、娘夫婦の家とはいえ他人の家で世話になって暮らしているのだから。祖母が抱えているさびしさが透けて見えた気がした。あの年齢で生活の大きな変化を受入れ、そのことによって生じる諸々を諦めたり、考え直したり、妥協したりしている。
伯父は今日まで仕事が休みだと家に居た。4人でお雑煮を食べ、おせち料理をつつき、締めくくりに粟もちのおしるこをいただく。伯父は食べ終わるとソファに座ってテレビを見る。女3人はテーブルで井戸端会議のようにおしゃべりをする。それから祖母の部屋へ行き、祖母とふたりで昔のアルバムを見る。祖母がまだ小さい頃の白黒の写真、おしゃれをしておすまし顔でポーズをとっている。これは写真屋さんがわざわざうちに撮りに来たんだよ。家業を傾けた祖母の父(私にとっては曽祖父、もちろん会ったことはない)や、他にも知らない親戚がたくさん。子どもの頃の私の父や伯母もいる。父は顔がほとんど変わっていないのでよくわかる。アルバムをゆっくり1ページずつめくりながら、昔の生活の様子を聞く。いま相方と住んでいる家も写っている。昔の時間がざあーっと押し寄せてくる。波に飲まれ、過去と現在がごちゃ混ぜになる。
伯母が留守のとき、祖母はときどき私に電話をしてくる。うちの近所の様子をなつかしがって聞いたり、そろそろこんなことがあるよと町内会の行事について知らせてくれたり、肉はスーパーじゃなくて○○○○で買えとか、バス停はそっちじゃなくてこっちを使えとか、玄関の南天は「難を転じる」だから切るなとか、ありとあらゆる注意事項をならべたりする。そのついでに伯母との生活の愚痴やら悩みを言うときもある。うん、うん、そうだよね。私もそういうことあるよ、おばあちゃん。聞き役に徹していると、祖母はそのうち答えらしいものを自分で見つけ、すっきりした声で、ああ、自分のことばかり話しちゃった、と言って、今度は私に何か悩みはないのかと聞いてくる。聞かれてはたと困る。悩みらしい悩みが思いつかないのだ。何にもないはずはないだろうけれど、それらしいものが今は思い出せない。仮にあったとしても、いたずらに祖母を心配させるだけなので言わないだろうけれど。
持って行ったおみやげよりも、たくさんのおみやげを持たせてもらう。昆布巻き、奈良漬け、生チョコ、それに祖母がまとめた私の幼少時代からのアルバム。これは重い。行き帰りの電車で角田光代『庭の桜、隣の犬』を読む。家族も結婚も人それぞれ、いろいろあっておもしろい。
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