蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2004年07月12日(月) 豆というのはこんなにも

先週、本屋で小池昌代の短編集を見つけた。その場ですぐに買った。小池昌代は詩人で、ときどき新聞の書評とか、詩以外の文章を書いているものも見かける。でも短編集は初めてじゃないかな。『感光生活』小池昌代(筑摩書房)には15編が収められている。

小池昌代の作品との出会いはたぶん、図書館でなんとなく彼女の詩集を手に取ったのが最初だと思う。そう、蜜白玉ノートでは、2002/2/25『夜明け前十分』小池昌代(思潮社)となっている。このとき、私はずいぶんと彼女の詩を気に入り、そのあとしばらく彼女の詩集を書店で探し、豆男がどうの(正しくは、『雨男、山男、豆をひく男』)、とかいう新しい詩集を見つけ、かなり熱心に立ち読みをした記憶がある。

ほとんど衝動買いの勢いで短編集を買ったのと同じ日に、図書館で現代詩文庫の小池昌代詩集を借りた。ひさしぶりに彼女の詩を読む。

小池昌代の詩はそれほど難解ではない。難しい言葉も言い回しも出てこない。しかしながら、書いてあることの全てを読み取れたという自信もない。ただ、彼女の詩を読んでいるとまるで対象にじかに触れているかのような、確かな感触がある。詩という形に翻弄されず、言葉を感じることに集中する。大切なのは、その時つかみ損なったものを気にすることより、かろうじて私の手のひらに残ったものに目を向けることだ。

彼女の詩には豆がよく登場する。特に空豆が多い。豆というのはこんなにも官能的なものだったかしら?


 「空豆がのこる」


 空豆はすぐにゆであがり
 わたしは「待って」と言った
 湯をこぼして
 「食べていって」
 流しのステンレスが、ぽこん、と鳴った
 それなのに
 行ってしまったのは。
 
 (中略)

 でてくるでてくるほらね
 際限なく
 わたしはわたしへ空豆を生み続ける
 ゆであげる前も楽しいのよ
 固いこちこちのみどりのかけらが
 湯をくぐり
 ふっくらと
 くぼみはくぼみ、そのままにゆであがり
 くちに含めば
 まだ固さを残して
 みどりの舌
 そのちいさくて、たのもしい
 あつみのある若い舌がわたしの舌へ
 ぽってりとかさなる
 歯にわらわらと
 やさしくくずされ
 くだかれてしまう
 くだかれてしまう
 空豆を食べる

 (後略)

                  詩集『永遠に来ないバス』より


ここまで書いたらピンポーンと鳴った。雨、雨降ってるよ!洗濯物!お向かいのおばさんが教えてくれる。・・・そうだった。雨が降っているのも気づかずに熱中して書いていたようだ。今日に限って外に洗濯物を干していたのをすっかり忘れていた。ありがとう、と言って洗濯物を取り込みに行く。

なんだか勢いをそがれた感じがあるけれど、つまり私はいま小池昌代の詩に再び心が傾いているのだ。


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