蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2003年12月10日(水) 多摩川のさざ波

通勤電車が途中のN駅を出発してしばらくすると多摩川を渡る。電車の窓から眺める多摩川は季節や時間や天気によっていろいろに見える。河岸にいる人たちもさまざまだ。

昨日は岸に立っていたおじさんがこっちを向いて写真を撮っていた。おじさんは上向きにカメラを構えて通り過ぎる電車を追う。その姿は子どものようにまっすぐで熱心だった。レンズに光がキラッキラッと反射して、そのたびにそっちを向いている私はまぶしかった。今日はたいていの日と同じように、釣りをしている人がちらほらいるくらいで、特に変わった人はいなかった。

昨日も今日も多摩川はまるで海のように青々としていて、それはわりとめずらしいことで、電車から見る多摩川はいつもはもっと茶色っぽいというか緑色っぽいというか、あんまりきれいな色はしていないのだ。昨日今日のように目を見張る青色はやっぱりめずらしい。水面には吹く風でさざ波がたっていて、細かく見えるその線はちりめんじわのようにも見えた。

ちりめんじわ。

数年前、デパートの化粧品売場で美容部員さんにアイラインを描いてもらいながら、鼻筋のチリメンジワが目立ちますね、と言われ、その時はじめて自分の顔に「ちりめんじわ」と名のつくものが存在することを知った。顔中きらきらパウダーで光っているというよりもテカって見えるその美容部員さんは、私の顔に既にシワができはじめていること、早くケア「してあげなきゃ」いけないことを強調してお高い美容液をすすめてくれたが、当時学生だった私には買えるわけもなく(今だって買わないかもしれない)、私は、はあ、そういうものなんですね、とまるで他人事のように気のない返事をしてごまかした。

電車の窓から多摩川の水面を見つめ、ちりめんじわを思い出すのもなんというか色気のかけらもないけれど、見れば見るほどますます細かい線はちりめんじわのように見えてくる。

そうやってときどき窓の外の景色を見ながら『カンバセイション・ピース』を読む。保坂和志の本はこれで4冊目になる。この最新作はたぶん他のどの作品よりもまどろっこしいに違いない。黙っておとなしく読んでいるけれど、情景描写のくどさに途中で投げ出してしまいたい衝動にかられる。それでも半分くらいまで読んでこられたのは、ククッと笑わずにはいられない箇所がときどきあるからで、保坂和志が『書きあぐねている人のための小説入門』で読者を笑わせるのは本当に難しい、と書いていたのを思い出し、実際に笑っている私はそのことに感心して、まどろっこしくてもくどくても読み続けようと心に決めてまたその先を読んでいる。


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