蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2003年08月13日(水) 祈りの夏

今年は3月のお彼岸の頃にひいおばあちゃんが、8月のお盆の頃におじいちゃんが、それぞれ亡くなった。ごく最近まで、私は仏事というのを単に親戚がぞろぞろ集まる面倒くさいものとして、あまり心にとめていなかったけれど、今はそうでもない。

生や死に対してどんな理屈をつけるかは宗教によっていろいろだと思う。考え方も、その考えを行動に表わす方法も自由だ。そんな中、うちはたまたま浄土真宗で、お線香は寝かせて置くし、焼香は2回ということになっている。作法を知らないと恥ずかしい思いをすることもあるけれど、本当に大切なのはそんな作法よりも相手に思いをはせることだと強く感じる。

今回のお葬式に関して、故人とお寺の住職との間に考え方の相違があった。私たちはおじいちゃんの意思を尊重したいのに、住職は受け入れてくれない。おじいちゃんが亡くなったその日に、私たちは住職からかなりきついことを言われた。それを聞いて、こんなときに全く血も涙もない奴だと思った。親戚一同怒り狂ってついには、お墓を引き上げる!なんて話まで飛び出した。まあ、最終的にはなんとか折り合いがついたものの、お寺が形にこだわり過ぎて心が見えなくなっていることに、とてもがっかりした。本当は住職こそ、そういう俗なものを最も飛び越えていてほしい人なのに。

それでも、おじいちゃんのおかげでこうしていろいろ考えるきっかけになったし、少しは浄土真宗について学んで、私ひとりでもきちんと供養していこうと思っている。特別大げさなことはしない。祭壇のお花を枯らさないようにとか、おじいちゃんの好きな葡萄を持っていこうとか、そういうこと。

思いをはせる、祈りの夏。


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