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2002年11月09日(土) 愛を乞うひと

本日11月9日は、読書週間最後の日と、
国産品認識週間に因み、次の作品をどうぞ。

愛を乞うひと Begging for Love
1998年日本 平山秀幸監督


これを見たきっかけは、「娘」でした。
当時7歳(小2)だった彼女は、
この映画のメーキングをテレビで放映しているのを見ました。
原田美枝子さんの迫力の演技にビビっていたら、
「はい、カット」の後、絡んでいた若い女優さんに、
「ごめんね、痛かった?」と優しく声をかけているのを見て、
「この人、本当はいい人なんだね」とホッとして、
ついでに映画自体にも興味を持ったらしいのです。

折も折、試写会があるというので応募したら、2人とも当選し、
(当方の田舎では、試写状1人1枚という試写会が多いので、
2人で行きたければ逐一応募しなきゃならない、というのが多くて……)

映画の内容を考えると不謹慎ではありますが、
ウキウキとして見にいった覚えがあります。
上映終了が夜の9時過ぎになるということもあり、
小さな子供はうちの娘くらいのものでしたが、
幸いR指定でも何でもなかったので、堂々と見にいけました。
映画で原田美枝子さん(2役だったので)の娘を演じた
野波麻帆さんの舞台あいさつもたまたま見られ、
思い出に残る試写会となりました。

この映画の原作は、作家の下田治美さんによるものでした。
妊娠中に連れ合いさんと離婚したという彼女の、
息子さんとの「妙に吹っ切れた母子家庭」の毎日を
コミカルに綴ったエッセーが好きでしたので、
あの人と、この映画の原作になるような小説と、
どうしても結びつかず、私自身は未だ読んでおりません。

手抜きなしの児童虐待シーンを強調した予告編で誤解し、
「あんな映画、酷くて見られない…」
と避けた人は多いかもしれません。
(私の知人でも、そういうことを言っている人がいました)
でも、それは非常にもったいない話です。
映画として好きか嫌いかは、見てからでも判断できるので、
ぜひともお勧めしたいと思います。
決して「それだけ」の物語ではありません。

母・豊子(原田美枝子)に
虐待されて育った照恵(原田2役)は、
夫の死後、しっかり者の娘・深草(野波麻帆)と
2人暮らしでした。

豊子は戦後を生き抜くため、
いかがわしい商売をしていたとき、
心優しい文雄(中井貴一)と出会い、
照恵をもうけますが、
豊子にとって子供は、幸せの象徴…なんかではなく、
照恵にひどい虐待を加えます。
見かねた文雄は、幼い照恵を孤児院に預けた後に死亡。
その後、豊子が照恵を引き取り、
また虐待を加える毎日が始まりました。
入れ代わり立ちかわり家にやってくる
「父親」がわりの男たちも、照恵を守ってはくれません。
照恵は、今は亡き優しかった父親の思い出に浸ることも
しばしばでした。

そんな生活に耐えかねた照恵は、とうとう家出をしますが、
そのとき、追いかける母親から自分を守ってくれた弟は、
成人後(うじきつよし)詐欺罪で捕まり、
今は塀の中です。
面会に行くと、上っ滑りな調子のいいことを言う彼に、
照恵はちょっとうんざりしますが、
今思うと、「あの母親」のもとにひとり残された彼が、
どんなふうに育ってこうなってしまったのかが
想像されるシーンでした。
(ちなみに、弟は虐待を受けませんでした)

ここら辺の描写だけでなく、
例えば、なぜ豊子が幼い照恵にああも激しく当たったのか、
これといった説明はしていません。
知人の女性(熊谷真実)の、
「彼女(豊子)は幼児期に
何かあったんじゃないのかねぇ」

と、わずかにそのくらいの台詞がある程度です。
それはもちろん、
決して暴力の連鎖などということが言いたいのではなくて、
どんな理由があれ、暴力が容認されるべきではないという、
そういう、映画全体の決意表明に見えました。
具体的に説明をせず、
鑑賞者の判断や想像にまつというのも、
手法を間違わなければ有効だと思いました。

照恵は、探していた亡き父の遺骨が台湾にあることを知り、
深草と一緒に台湾へと赴きます。
父と母の古い知人(自分も少し面識がある)老夫婦と再会し、
父の、そして母の過去に触れた照恵は、
幼い自分がずっと抱えていた思いを
深草に率直に吐露します。
(このシーン、大好きです)
そして、まだ存命らしい豊子にも会う決心をし…

母親を時にはあくまで明るく叱責さえする深草の存在は、
本当にこの映画のオアシス的存在でした。
役に恵まれたこともありましょうが、
野波さんは、非常にいい感じで
役柄の好ましさを表現していました。


ユリノキマリ |MAILHomePage