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本日8月7日は「鼻の日」ということで、 鼻に触れるしぐさが何ともかわいらしい少女が登場した、 こちらの映画をどうぞ。
コリーナ,コリーナ Corrina, Corrina 1994年アメリカ ジェシー・ネルソン監督(兼製作・脚本)
愛妻を事故で失ったばかりの CM音楽作曲家マニー(レイ・リオッタ)は、 母親の死のショックから一時的に言葉を話さなくなった 娘モリー(ティナ・マジョリーノ)を心配しつつ、 仕事の行き詰まりをとにかく何とかしなければと、 家政婦を雇う決心をします。 面接した中で比較的マトモだと思って雇った ミリー(ジョーン・キューザック)は、 実はとんでもない勘違いオンナで、 「これも家政婦の務め」などと言いつつ、 夜中にマニーのベッドに忍び込んでくるのに閉口し、 新たに面接をしました。そこにやってきたのが 黒人女性コリーナ(ウーピー・ゴールドバーグ)です。
コリーナは、教養があっておしゃれで(料理はイマイチ)、 何よりも、モリーも閉ざしていた心をあっという間に開きます。 いつしか、マニーまでもが彼女に、 「頼れる家政婦」から一歩進んで「一人の女性」として 惹かれるようになっていくのですが、 まだ白人の黒人に対する偏見が強い時代のお話でして、 お互いの前途は明るいとは言えません。 モリーの「コリーナがパパのお嫁さんになればいいのに」 というかわいらしいお願いも、切ないものでした。
監督は、近作『I am Sam』も好評のジェシー・ネルソンですが、 この人って、物すごい凝り性なんではないかと思います。 (何かを創造する人は、大抵そうだとは思いますが) それも、映像がどうの、 小道具・大道具がどうのということではなく、 人の心のありように対する「凝り性」というか、 いわば心理描写マニアという感じです。 こんな状況に置かれた人は、 こう感じるのが想像に難くないけれど、 一方では、こんな感情だってあり得るのではないか? ……というようなことを考えに考え抜いて、 脚本を書いたり監督したり、そんな感じの人ではないかと。 (それが成功したと感じるか、スベったと感じるかは ただただ好みの問題というだけで) 特にそれを感じたのは、亡くなった妻(母)に対する マニーとモリーの複雑な思い(愛情)を表現するシーンです。 正直、黒人差別の状況や、 それを超えたマニーとコリーナの関係などは、 添え物といっても過言ではないほどです。 (…と、少なくとも私は思いました)
ところで、鼻に触れるしぐさ云々ですが、 口を利かないモリーに、 「Yesなら鼻を触って、Noなら何もしないで」と、 コリーナがサインを決め、序盤はそれで“会話”を 成立させるのです。 サインの意味を知らない父親に「鼻をいじるな」と注意されて しょげてしまうなど、 ちょっとかわいそうなシーンもありましたが、 これを最後まで引っ張るのかと思いきや、 モリーは存外早く口を利くようになります。 あらら……と、 最初は少々肩すかしを食らったような気になりましたが、 そのうち、そんな提案をするコリーナ一流のデリカシーを 認めたモリーが、 すぐ元気を取り戻して口を利くようになったとしても、 全く不自然ではないかな、と思えてきました。
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