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2001年07月09日(月) |
ミス・エバーズ・ボーイズ |
ミス・エバーズ・ボーイズ(テレビ) 1997年アメリカ
アルフレ・ウッダード扮する看護婦ユーニス・エバーズが、 1932年から40年間、「タスキギー・スタディー」と呼ばれる 黒人の梅毒治療プログラムに尽力し、 後に議会で「あれは非人道的な人体実験だったのでは?」と 審問される……というシーンから、ドラマは始まりました。 実話がベースになっているということです。
「タスキギー・スタディー」は、議会の指摘どおり、 実は人体実験以外の何者でもないという側面を持っていました。
アラバマ州の医療スタッフがすべて黒人という病院で、 綿花農場で働く黒人などを対象に、 無料の梅毒検査・治療が行われることになり、 若く正義感が強いやる気まんまんのユーニスは、 小学校時代の同級生だったケイレブを含む4人の男性を説得し、 病院に来させるなどして、精力的に仕事をこなします。
その4人の男性は、 ダンスと器楽のグループを結成していて、 コンテスト出場の際、彼女の名をとって、 グループ名を「ミス・エバーズ・ボーイズ」と名乗り、 優勝をかっさらうなど、 公私ともに交流を深めていきます。 殊に、幼なじみだったケイレブとは、 次第に愛し合うようになりました。
4人とも検査の結果、 「梅毒ポジティブ」であることが判明しますが、 ユーニスは、ふとしたことからケイレブだけにそれを打ち明け、 治療すれば絶対によくなるのだと諭すのでした。
が、資金難でプログラムのための 資金援助が打ち切られそうになり、 まずは人件費削減のためと、ユーニスは一たん解雇され、 白人の家のメイドをして時機を待ちます。
しかし、ユーニスが呼び戻されたとき、 医師が彼女に信じられないことを告げました。 「黒人と白人とでは、梅毒の症状に差が見られるか?」 ということを具体的に検証すれば、出資が得られるので、 治療とは名ばかりの「観察」を今後は続けるのみというのです。 一番有効だと言われたペニシリンの投与も、 患者の無知をいいことに、 「副作用が怖い」だのともっともらしいことを言われ、 打ち切られてしまいました。
失望し、他地へ移ろうかと思ったユーニスでしたが、 彼女を頼りにする患者を見捨てることはできません。 個人的に何とかペニシリンを投与され、 軍隊に入れるほどの体になったケイレブは、 戦争から帰ってきたとき、北部で一緒に暮らそうと、 ユーニスにプロポーズするのですが、 彼女はそれすら断腸の思いで断りました。
1時間55分の放送でしたが、 ユーニスにすっかり感情移入して、 悔し涙が出てきました。 「なぜ死にゆく患者たちに治療を施さないでいられたのか」と 詰問する議会。当然、議員たちは皆さん白人だったりします。 同胞たちの酷い扱いに腹を立てながらも、 「黒人地位向上のための犠牲やむなし」と思うことで、 自分を納得させようとする黒人医師、 プログラムがうまく行くかに思えたころやってきた、 気のいい白人の医師は、 NYのショークラブ「コットンクラブ」に行ったことがあると話し、 黒人患者の羨望の眼差しを集めますが、 「コットンクラブ」では、黒人は舞台に立てるだけで、 客席には座れないのでした…。 ミス・エバーズ・ボーイズの1人ウィリーが、 コットンクラブのステージに立てるかな?と言ったとき、 ユーニスは、 「私は舞台に椅子を置いてあなたを見るわ」と返しました。
映画で「重要な役を黒人俳優に演じさせると当たる」という説は、 まだあるのでしょうか。 そういえば、『ペリカン文書』のデンゼル・ワシントンの役も、 『ショーシャンクの空に』のモーガン・フリーマンの役も、 原作では黒人ではありませんでした。 (本当は『ペリカン文書』の原作は読んでいませんが、だそうですね) 最近は黒人の俳優の層が厚く、 このドラマでケイレブを演じたのも、 『マトリックス』でも注目された、 「黒い佐々木主浩(マリナーズ)」という風情の ローレンス・フィッシュバーンでした。 そもそもこのドラマは、黒人の魅力的な俳優を使わないことには 成立しないものではあるので、 重要な役云々というのも、ここで語るべき問題ではないのですが、 差別的なにおいがぷんぷんとする説で、ずっとひっかかっています。
肌身に染みる人種問題を、幸か不幸か私は知りません。 ティーンの魔女が主人公のドラマ『サブリナ』でも、 サブリナの親友ドリーマ(というか、彼女も魔女だけど)は黒人ですが、 殊さら人種問題を強調するシーンを見たことがありませんし、 ほかのドラマでもそうです。 白人と黒人はかくも協調し合えていると誇張している、 という話を聞いたこともあります。 アメリカの「現代」を描いたものを見る上で、 黒人の苦難の歴史と、 理不尽な差別はアホだとわかっている “良識ある”白人の戸惑い、勘違いを、 どこかで意識しながら触れていきたいと思いました。
ユーニスという女性は、 「ヒットラーがいつまでものさばる世の中は続かない」と信じ、 決して自らは国外に逃げようとしなかったという エーリッヒ・ケストナーをどこか思い出させました。 逃げることも、逃げないことも、 それが自分の信念に基づいたものならば、“正義”なんですよね。 と言いつつ、逃げなかった方により感銘を受けてしまうのは、 自分自身がいつも逃げ腰だからかなぁ?
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