気ままな日記
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小説入門講座が先日終わった。 何年もこの講座に通い続けている方など、原稿用紙100枚近くの宿題を毎回提出。史実を丹念に調査し、読み応えのある歴史小説を書かれる方もいて、本当に、ため息の連続であった。 わたしはというと、20枚そこそこが限度。しかも想像力が欠如しているのか、実話をそれらしくこねくり回して形にした、といった感じで、どうも書いていて面白くない。 小説のための小説を書いているような、奥歯にものが挟まったような、つくりごとめいた感じが、最後までつきまとった。 主人公と書き手との距離がもてないのに、無理やり主人公を別人格につくりあげたという違和感といったらいいのか。 そこで講師に質問。 師曰く、「それは、書き手と主人公の距離の問題ではなくて、書きたいことと、実際書きあげたものの距離なのではないですか? つまり、あまりうまく書けてないということなのでは」とバサリ。 ―むむ。そうでしたか。
エッセイは面白いのに小説はいまひとつ、という作家がいるけれど、小説向きの人と、エッセイ向きの人、というのは敢えているのでしょうか?という質問に、師曰く、 エッセイといっても、角度の当て方で、すでに”創作”しているのであって、事実をそのまま書いているものは面白くない。おもしろい文章を書く人は、”嘘を混ぜるのがうまい人”なのだそうだ。 真実を書くためには虚構も必要ということらしい。 「嘘」というと、なんだかマイナスのイメージが漂うけれど、うまい嘘というものが書けるよう、日々精進ですな、などと思いつつ終了。 講座のあとに、打ち上げがあったのだが、そうしたものに参加するほどのもんが書けまへんでした、という卑屈じみた気持ちがあり、こそこそと直帰したのでした。
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