| 2008年05月26日(月) |
カンボジア旅行記 その4 |
携帯のアラームで目が覚めると、体がぐったりとしておりました。 食事はアンコールワットの観光の後となるため、二度寝しそうになるのをこらえて着替え(といっても、寝巻き代わりのシャツはそのままで、下を履き替えるのみ)。
仕度をしながら友人が言うには、「昨日はシャワーが冷たかった」とのこと。つまり、一人目はかろうじて「ん…?最後の方、湯が温いな」って言う程度なのですが、二人目に入浴する人間は、「お湯が温い…っていうか水!」という事になるようです。ボイラーが暖かい湯をそう沢山保持していられないんですね。数泊する中で、一人目と二人目の間を30分ほどあければいいらしいとは感じましたが、なにぶん疲れていて直ぐ風呂に入って寝たいため、温くても入ってしまいました。 日本にいても、水の豊富さ、いつでもたっぷり湯船に浸かれることは贅沢だと日々思っていましたが、本当にいい国だと思います、日本最高。
十分な時間を持ってロビーへ、と思いきや、ガイドさんがフロントに既に来ていて、「電話をするところだった」との事。旅行記1でも書きましたが、携帯の時間がズレていたようです。ただ、このときはそのことに気づかず、何だか皆来るのが早かったなぁと…結局2度目に遅刻して漸くズレに気づいた次第です。申し訳なかった。
毎日の観光先によって、マイクロバスで拾われる順番はそれぞれですが、やっぱりなんとなく、高級ホテルの方が降りるときは一番先、乗るときは一番後からゆっくり、という具合だった気がします。 ただ、この初日は順番が違い私たちの迎えが最後でした。ということは、4ツ星ホテル(ル・メリディアンやソカーホテルなど素敵なホテル。いつか泊まってみたいもの。)のお客様が、私たちの泊まるサリナホテルとその周辺を初めて見たことになり、ちょっと絶句していました。 そんなに悪くないと思うのですが、老後のリゾートにはそりゃ向かないホテルだろうなと。でも寝るだけだし、今の自分には丁度いいホテルで、最終日には従業員さんたちにも顔を覚えられ、挨拶も気軽にしてもらえる、することができる、楽しい思い出のあるホテルになりました。
最終日は自由行動になることが分かっていたので、友人から「地球の歩き方」を借り、まだ真っ暗な道を走りながらも、道や目印を多少覚えながら、町を北に走っていきます。 すると道の右端に明るい建物が現れ、バスは一旦止まります。ここでアンコールワットへ入るための手続きを行うわけです。
見た目はディズニーランドのチケット販売所。
三日間、アンコールワット、アンコールトムなどに何度でも出入りできるチケットが40ドル。ちなみに現地の人は無料です。
昔は写真を日本から持参しなければならなかったようですが、今は、現地で撮ります。カメラのようなものに目を向けて、一瞬でパチっと取るやつです。あっという間にチケットは完成して、もう一度バスに乗り、いよいよ遺跡群地域へ。ここまで20分もかかっていません。 バスは広場のような所にある道端で止まり、ツアー参加と思われるバスから色々な国の人たちが降りてきて、懐中電灯で足元を手荒らしながら、ガイドさんに連れられていく。少し腐りかけた水のにおいと埃の匂い。階段を数段登って、両脇に大きな池のある(といっても見えないので落ちないようにといわれたが)石畳の道を行くのです。
正面に建物の気配。西の大門です。。中央の入り口は王の門、その左右にその他の人間が通る門、更に外側に象の通るための門がある。左の門から、懐中電灯を頼りに中に入ると、そこにはもう既に、夜明けを待つ人の群れがありました。 足の長い芝生を踏み分け、人の波を通り越した所で、集合時間まで自由に過ごしていいことになって解散。
暗闇の中、ちらほら日本語が聞こえ、真後ろに満月がのぼって大きな木のシルエットにかかる。
前庭にある経蔵に、適度な距離を置いて思い思いに座っている観光客達の姿。
空が青から周りが赤味を帯びたオレンジに変わっていく。徐々に見えてくるアンコールの姿に周りから声が聞こえる。友人と自分は黙って立っていました。
なんだか自分がそこにいることが信じられないような気分。最近ずっとそう。日本で演劇を見たり観光をしたり、コンサートに行っても、どっぷり浸かって感じ入ることがないのです。 最初の頃の、すとんとハマって感動する感覚がなくなったのはいつごろからだったろう。 この、夜明けの景色も何度か見たらこの違和感がなくなるんだろうか、素直に感動できるんだろうか。たまには急に感情が高ぶって、一枚の絵を見て涙が出る事もあるのに、と思いながら、眺めていました。
と、書いたからと言って何の感慨も持たなかったわけではなく、徐々にオレンジから黄色、白んでくる空と、アンコールワットはやっぱり綺麗だった。その建物そのものの大きさに圧倒され、一帯どんな人達がこれを作ったのかと、思いをはせた。
1860年。今からたった140年程前には、この一帯はジャングルの中だった。現地人さえ近づかない、かつて巨人が住んでおり、深く踏み入るとのろわれるという伝説があった場所だった。そこにフランス人アンリ・ムオーがやってきて、遺跡の再発見をした。このとき、美術品が多くカンボジア国外へ持ち運ばれた。 1979年、クメールルージュはベトナム軍に追われて政権から撤退したものの、まだ、アンコール遺跡付近に潜んでいた。クメールルージュは宗教思想も否定していたため、遺跡の破壊が行われた。 1982年、まだ、ベトナム軍が駐留しており、政情も不安定だった年、日本では「アンコールワットものがたり(絵本作家・北川幸比古/著 手塚治虫作品の脚本などを手がけた杉山卓/絵)」が子供向けに出版されている。命がけで取材に行ったこと、アンコール周辺がまだその頃ジャングルの中にあったこと、遺跡は木々で覆われていたことなどを書いている。
ここで沢山の人が殺されたことは、観光の間ずっと記憶の隅にあったが、あまり思い出さないように…思い出さないように…としていた。思い出したりするのは帰った後が良かろうと思います。 アンコールワットはカンボジアの中世、スールヤヴァルマン2世が作ったもの。このときはヒンズー教信仰。しかしその後一度放棄され、100年ほど後に戻ってきたアンチェン1世によって彫刻の続きがなされ、その孫の代には仏教思想になったため、本堂のビシュヌ神は仏像に置き換えられたとのこと。日本人がアンコールワットを祇園精舎と思い、朱印船に乗って海を渡りやってきたのはその後の出来事。この辺は教科書にちらりと載っていた様な。
しかし日本の歴史はさほど知らないくせに(観光先は少々調べるけれども)、初の海外、それも遺跡群となると、色々調べたい、知りたい、分かりたいと思った。この情熱を日本にもきちんと向けようと…思ったり、二人揃って旅行すると雨ばかりの自分と友人、今回の旅行がはれてよ肩…あ、乾季だもんな、と思ったり…している間に、空はすっかり白くなり。
さわやかな気候と風に、振り返ると、気球に乗って空から日の出を見ていた人たちが優雅に浮かんでいました。
正面から左には、池があり、その水面に映るアンコールワットが写真撮影には絶好とのことで、参道やその付近を何枚も撮った。目に焼き付けておくほうがいい、じっくり見たほうがいいと思いながらつい、周りに釣られてしまうのです。
集合場所には既に皆集まっておりました。今は夜明けだけを見て、かえって食事です。その後また集合し、今度はアンコール・トムを見に行きます。一日目でメインをめぐってしまう濃いツアーですね。
遺跡を出ると、こんな花が咲いていました。芝生の上にぽつぽつと可愛い。 指は友人のもの、カンボジア=グリーンのイメージでは? と伝えたところ、こんなジェルネイルをしてきた。
環濠まで出た所で、本当の朝日が昇ってきた。スケジュール上、この時間まで待つことは出来なかった。
アンコールワットから市内へ戻る道。綺麗に舗装されている。イオンが植樹した地域も右手にある。観光バスや大人数の乗ったスクーター(現地の人)、トゥクトゥク(バイクの後ろに2〜4人掛けの屋根付きリヤカーを引いたもの。座席は布だったり合革張りだったりする)が走っている。この時間では少々寒そう。
続きはホテルの朝食と、アンコールトムの話。
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