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二人のはじまり 11■2002年04月01日(月)

指導が始まって一ヶ月。

生徒とはあまりに多くのことを話していた。

そして、彼女はときどき感情が混乱したときは決まって僕に電話し、僕はその混乱を収めていた。





そんな一ヶ月が過ぎようとしていた頃。






僕はダウンした。

帯状疱疹(たいじょうほうしん)が発症した。

脊髄の右、ウェスト辺りから、何十本の針が付き刺さるような痛みが2、3秒間隔で襲ってきた。

患部を見ると、そこに紫色の気味の悪い水膨れが無数に出来ていた。

痛みのために夜も眠れなかった。





ストレス状態が続くと、体内では免疫力が低下する。

免疫が下がれば疾病になり易くなる。

帯状疱疹はまさにこの一連の流れの典型だった。





病院へ行くと、医者は僕に5日間の安静、点滴を命じた。

疲はい状態にある体を休ませ、免疫を復活させなければならなかった。

その日、僕は痛み止めを脊髄に注射され、90分間のブドウ糖点滴を受け、薬を処方された。

僕が眠れないと言ったためだろうか、抗うつ剤まで含まれていた。

精神系の薬は初めてだったので、とうとうここまで自分はひどくなったのか、と僕は落胆した。





家に戻ると、僕は受け持っていた3件の家庭に電話を掛けた。

体の状態を説明し、バイトを休ませて欲しいと願い出ると、どの親も快諾してくれた。

連絡を追え、生徒の携帯に電話をかけた。

会話の途中で僕が痛みのあまり口もきけなくなるので、彼女には心配を掛けた。

「どうして病気になったの?」尋ねられたので、僕は、ストレスが原因だ、と答えた。

「ひょっとして、私が原因?」

さあ、な。

「先生、何か悩んでいることあるの?」

ないよ。

苦痛も手伝って、僕はぶっきらぼうな解答しかできなかった。

「だったらどうして?私が骨折ったりして心配かけてない?」

ま、心配だったよ。少しくらいは影響してるかもな、この病気に。はは。

「やっぱり…。」そう言ったきり生徒は黙ってしまった。

ばか、気にしなくたっていい。

僕が、弱すぎたんだ。

僕がもっと強ければ、君の相手をしていてもこんな病気にはならずに済んだはずなんだ。

悪かったな、案外、もろくて。

僕がそう言うと、生徒は

「心配かけて、ごめんね。」

と答えた。

謝ることじゃないよ。

「じゃ、お見舞いに行く。先生の家に。」

来なくていい、勉強してろ。

しばらくそんな話をしたが、途中で痛みが激しくなり、話が途中のまま電話を切ることになった。

その後も痛みは一晩続いた。

翌日、生徒が電話をくれたが、僕が話せなくなるたびに切り、また掛け直すという繰り返しだった。

夕方、仕方なく抗うつ剤を飲んだ後、僕は20時間夢も見ずに眠った。


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