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2005年08月22日(月) 第105-106週 2005.8.8-22 スコットランドとは、人口減少問題に直面するスコットランド

今週から夏休みでスコットランド周遊の旅に出ます。

(スコットランドとは)
スコットランドとはどういうところか?グレート・ブリテン島の中でイングランドの北側に位置し、連合王国を構成する4つの「国」の中でイングランドに次ぐ存在感を示しているのがスコットランドです。
スコットランドには、地形的にも、歴史的にも、民族的にも、文化的にも、イングランドとはかなり違う英国があるようです(英語もかなり違う)。

英国政府観光庁のウェッブ・サイト(日本語)を覗くと、スコットランドは次のように紹介されています。
「スコットランドと聞いて、真っ先に想像するものといえば、ウイスキー、ゴルフ、古城などの歴史的建造物、それにタータンチェックのキルトを思い浮かべる人も多いはずだ。面積はグレート・ブリテン島の北部3分の1を占め、7万8765平方キロメートルと北海道より少し小さいくらい。北部のハイランド地方は、独特の自然景観が旅情を誘うところ。氷河に削られた丘陵や、陸地に深く切り込んだフィヨルドなど、雄大な景色が広がり、ヨーロッパに残る最後の原野のひとつに数えられている。」

(人口減少問題に直面するスコットランド)
2005年版・英国統計年鑑(The Official Yearbook of the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)に紹介されているデータから、スコットランドの特徴をいくつか拾ってみます。
・人口密度が極端に低い。面積が英国全体の32%である一方、人口は9%に満たない。人口密度は65人(千平方km当たり)と、英国全体(246人)の四分の一程度。ちなみに日本の人口密度は、340人。
・人口が一部地域に集中している。スコットランド国民(人口500万人)の四分の三が、エディンバラ(同45万人)とグラスゴー(同58万人)の二大都市を含む中心平野部に住んでいる。グラスゴーの人口密度3,288人に対して、北部のハイランド地方は8人。ちなみに東京は、5,690人。
・急速な少子高齢化が進んでいる。15才以下の人口比率が他の三地域(イングランド、ウェールズ、北アイルランド)と比べて最も低い(18.6%)。ちなみに日本はさらに低くて、13.9%。
・人口が減少傾向にある。2003年まで過去12年間の人口増加率が英国四地域の中で唯一マイナスとなっている(-2.4%)。出生率が最も低くて、死亡率が最も高い。

スコットランドの人口問題(人口減少、少子高齢化)に関しては、最近のエコノミスト誌(8月6日号)でも小さなコラムで取り上げられていました。同コラムによると、20数年後に英国全体の人口は10%程度増加すると予測されているなか、スコットランドだけを取り出すと、EU新規加盟国と同様に5%程度の減少となるそうです。
このような現状に対してスコットランド政府も強い危機感をもっており、2004年2月から“Fresh Talent Strategy”なるキャンペーンを行っているそうです。スコットランド人の流出を防ぎ、かつ国外からの有為な若者の流入を歓迎・促進する政策です。
英国はじめ欧州全体で移民の流入に神経質になっているご時世において、スコットランドについては中・東欧などからの移民を大歓迎しているのです。

(スコットランドの歴史)
次に、歴史的な観点からスコットランドの特徴をあげてみます。今回の旅行を前にして、スコットランドの歴史に関するいくつかの概説書に目を通しました。付け焼刃の一夜漬けベンキョウから得た印象に過ぎませんが、私としては次の三点が印象に残っています。

第一に、錯綜した複雑な関係が歴史を動かしてきたという点です。
主軸は宗教をめぐる厳しい対立(基本構図はカトリックvsプロテスタント)でしたが、この他、スコットランド内の各氏族(クラン)間の対立、北部ハイランド地方と南部ローランド地方の対立、そしてイングランドとの間の確執がありました。これらが複雑に絡み合って多様な対立関係を織り成してきたのが、18世紀頃までのスコットランドの歴史だったといえます。

第二に、以上の背景から国内の統制がなかなか取れてこなかった結果、かなり野蛮で血なまぐさい歴史が刻印されてきた点です。
スコットランドの年表をみると、1603年にイングランドとの同君連合が形成されるまで(スコットランドの国王がイングランドの国王を兼ねた形ながら、実態的にはスコットランドがイングランドに併呑された)、スコットランドには43人の王または女王がいましたが、うち27人が不慮の死(殺害・戦死など)を遂げています。この中には、シェイクスピア劇で有名なマクベス王(1057年、殺害)もいます。

第三に、イングランドとの心理的に微妙な関係です。
隣国でありながら、政治力・軍事力・経済力とあらゆる点で圧倒され続けてきたことから、イングランドに対するやや歪んだ対抗意識が垣間見られるように感じました。時にはおもねり、時には過剰なまでに対抗心を燃やすということが繰り返されてきて、結果としてはつねにイングランドに翻弄され続けてきたのが、スコットランドとイングランドの歴史的な関係ではないでしょうか。
このような対イングランド心理は、現代にまでも継承されているようです。例えば、スコティッシュに対して、「英国人」と言うつもりでEnglish(イングランド人)と言ってしまうと嫌な顔をして訂正されます(正解はBritish)。
なお、スコットランドが法的に連合王国(Great Britain)の一員になったのは、同君連合から約一世紀後の1707年のことです。

ということで。


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