Experiences in UK
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2005年07月25日(月) 第102週 2005.7.18-25 貧困問題とテロの因果、14番バスが新型ダブル・デッカーに移行

ロンドンの街もなかなか平常どおりと言っていられないような状況になってきました。
21日に二度目の同時多発テロ(未遂)があり、翌22日朝には地下鉄で自爆テロを実行しようとした人物が警官に射殺されるという殺伐としたニュースが伝えられました(通常のロンドンの警官は銃を持っていないので、特殊部隊といわれる。後にテロと無関係の人物だったことが判明)。
先週木曜・金曜のロンドン中心部は、一日中パトカーのけたたましいサイレンの音が鳴り止まない感じで、緊迫した雰囲気を感じずにいられませんでした(もっとも、普段からロンドンでは比較的パトカーのサイレンの音が耳につくのですが)。

(貧困問題とテロの因果)
今回(7月7日)のテロ攻撃で、実際に被害に遭われた方々を除くと、最大の被害者はパキスタン系イスラム教徒の方々でしょう。実行犯と目されている四人のうちの三人が該当し、パキスタンという国がムスリム過激派の本拠地として脚光を浴びる結果になっています。
英国内に多数いるパキスタン系の方々は、比較的貧困な人達とされています。よく比較されるインド系ブリティッシュが、全体として経済的に成功している一方、多くのパキスタン系はいぜん経済的に厳しい状況に置かれていて、ロンドンのみならずイングランド内の多くの地域で固まって生活をしているそうです。

このため、今回のテロ攻撃の背景には、パキスタン系ブリティッシュの貧困問題があり、英国(西欧)社会にうまく適応できないことに発する不満が、彼らを過激思想に走らせる原因となっているという分析がしばしばなされています(7月16日付エコノミスト誌のLeadersにもそのような見解が紹介されている)。
実は、私が英語のレッスンを受けている女性がまさにパキスタン系二世のイスラム教徒です。彼女に対して上記のような見方をどう思うかと聞いてみたところ、断固とした口調でdisagreeと否定されました。彼女曰く、「英国は機会の平等が保障されている社会であり、この国に貧困問題なんてありえない。人種差別的なこと?そんなことどこにでもある話じゃない。ただ、自分たちのような移民は、出身国と英国の間の二重のアイデンティティの狭間で揺れていることは事実。今回の件に限らず、イスラム教の名を借りて、そのようなアイデンティティの分裂で不安定な精神状態にある若者を洗脳し、過激思想の持ち主を輩出しているカルト集団の存在は、イスラム教徒として本当に許せない」とのことでした。

この話を聞いた際に思ったことは、95年に日本が経験したオウム真理教による一連の事件と同じ構図があるということです。受験戦争や競争社会の中でアイデンティティ喪失の状態に陥った人たちをカルト集団がすくいとって洗脳し、反社会的な行動に駆り立てるというパターンが酷似しているように思えたのです。
当時の日本でも、オウム事件と競争社会の間に因果を求めるような筋違いな議論が一部であったような気がします。今回、私が話を聞いた女性は、パキスタン系移民の中では西欧社会にうまく適応できている数少ない成功者であり(と言っても特段裕福なわけではなく、経済的にはごく普通の中間層)、貧困の実態を必ずしもよく知らないのかもしれません。ただ、本人としては、努力をすればある程度報われる英国社会において、将来に絶望して自爆テロに走らざるをえないような貧困問題などありえないという立場であり、パキスタン系イスラム教徒の貧困問題と今回のテロを結びつける議論は、本筋を見誤る議論だと言いたいのでしょう。至極もっともな見方のように思えます。

(バッキンガム・ガーデン・パーティ)
二度目のテロ事件が発生した21日の午後、バッキンガム宮殿での女王陛下主宰ガーデン・パーティに出席する機会がありました。地下鉄テロのニュースが12時半頃に流れ始めたのですが、午後3時に始まるガーデン・パーティは、当然のように予定通り執り行なわれました。

幸い好天に恵まれた爽やかな午後、バッキンガム宮殿の裏庭に大勢の紳士・淑女が集まりました。ガーデン・パーティなのでドレスコードはさほど厳しくありませんが、女性は民族衣装あるいはデイ・ドレス(帽子着用)、男性は民族衣装、モーニングあるいは平服/制服となっています。男性は、概ねダーク・スーツで大丈夫ですが、女性はそれなりの格好が必要であり、着物を選択しなかった日本人女性にとっては「帽子」が厄介な問題となります(英国で女性が野外で正装する際、帽子は必須)。
今回、妻は洋風ドレスを選択し、一ヶ月以上もああでもないこうでもないと悩んで決めたドレスに、サーカス団員のような帽子を頭にくっ付けての参加でした。

広大な芝生の庭園には、西洋映画さながらに華やかな衣装で着飾った老若男女と各国の民族衣装を誇らしげに着込んだ人々が集っていて壮観でした。暑い中、モーニングを着用し、山高帽をかぶり、手には(素晴らしい晴天なのに)細く巻いた黒い傘を持って闊歩している伝統的な英国紳士スタイルの男性もけっこういました。
多くの女性が洋風ドレスを着用する中で、着物でしゃなりしゃなりと歩く日本人女性はかなり目立っており、周囲の注目度も高かったように思います。贔屓目があるかもしれませんが、どの国の民族衣装よりも着物の魅力は際だっていたように感じました。

午後四時ちょうど、女王陛下のご登場です。音楽隊が英国国歌“God Save the Queen”を奏でるなか、全員が起立してお出迎えしました。促されるままに出席者たちによる人垣の通り道が形成され、そこをエリザベス女王がゆっくりとロイヤル・テントまで進まれます。
途中、お付きの人たちによって選ばれた幸運な人が人垣から引っ張り出されて、女王陛下の通り道に十メートルおき位に配置され、女王は彼らと会話をしながらゆっくりゆっくりと進んでいました。声をかけるというよりも会話をするという感じで、各三分程度じっくりと話をされていきます。
人垣の最前列で待ち構えていた我々は、(幸か不幸か会話要員には選ばれませんでしたが)ほんの一メートルくらい先で会話を交わしているエリザベス女王のご尊顔を拝し、その言葉に耳を傾ける機会に恵まれました。もっとも、妻の真後ろにいた私の視界前方は、彼女のでっかい帽子によって八割方占拠されてしまっており、女王陛下のご尊顔はほとんど見えなかったのですが・・・。

(14番バスが新型ダブル・デッカーに移行)
私の通勤の足は14番のバス(ダブル・デッカー)なのですが、今では数路線しか残っていない旧型ダブル・デッカーでした。昔からロンドンのシンボルとして知られているオープン・デッキのバスで、ルート・マスターという愛称でロンドナーにも親しまれてきたのですが、これが諸事情により今年中にすべて新型に切り替えられるということは既報の通りです(04年9月27日、参照)。

先週金曜夜、帰宅の際にバスを降りると(私が降りるのは終点です)、カメラを持った多くの人々が集まっていました。どうやらこの日が14番の旧型ダブル・デッカー最終日だったようで、最後の姿をカメラにおさめようという人たちが集まっていたようです。
私も二年間毎日利用していたバスであり、感慨深いものがあります。車内はビックリするくらいに汚いのですが、いつでも自由に乗降できるオープン・デッキの自由さと車掌が相乗りしている前時代的な雰囲気は、新型の快適な乗り心地と比較してもはるかに魅力的なものでした。
いかにも暇そうではあっても車掌がいるというのは、テロ対策という意味でも安心できる要因だったのですが。車掌のいない新型ダブル・デッカーの二階は、ちょっと当分乗る気がしません。


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