Experiences in UK
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2005年07月18日(月) |
第101週 2005.7.11-18 ジョン・ブル、英国人がテロ攻撃にどう対応しているか |
先週、スコットランド出張時の新聞をまとめて見ていたのですが、オリンピック開催決定を伝えて喜びがはち切れんばかりの木曜朝刊とテロ攻撃を伝えるショッキングな金曜朝刊のコントラストが、小説よりも奇なる現実をよく映し出していました。
(テロ攻撃から一週間) 先週は夜の街に繰り出す機会が多かったのですが、地下鉄が寸断されているからでしょうか、タクシーが捕まりにくい印象があります。 テロから約一週間後の15日(金曜)夜遅い時間にロンドンの目抜き通りであるオックスフォード・ストリートを歩いていると、深夜零時のハリー・ポッター新刊発売を待つ人々の長い行列が書店を取り巻いていました。ハリポタのキャラクターに扮した人々やそれらの賑わいをカメラに収める報道関係者で店の周囲はごった返していました。 当然のことながら、こうしてテロとは無縁の日常が流れているわけです。
(ジョン・ブル) どこの国に関することであれ、国民性に関する説明はステレオタイプ(紋切り型)になることを免れないでしょう。例えば、「日本人は勤勉で時間に正確な国民だ」というよく言われる日本人像がありますが、日本人自身の率直な感想として、このような日本人像の適否はよく分からないところです。 それでも、過去に自分が受けた教育などを振り返ってみると、勤勉であることや時間を守ることを重視するような風潮が日本にかなりあったことは確かだと言えます。日本人の中には、二宮金次郎とか“おしん”の話に共感を持つ人が多く、ことあるごとにその類の〈物語〉を聞かされることで、日本人としての一定の価値観や思考パターンを教え込まれてきたということなのでしょう(それらを個々人がどの程度受け入れているかは別にして)。 つまり、人口に膾炙しているステレオタイプの日本人像が、実際に日本人に当てはまるかどうかはともかく、日本で相対的に重んじられてきた価値観を示すということはかなりの確からしさで言えるのだろうと思われます。
ところで、英国人の国民性に関する説明で、よく紋切り型に引き合いに出されるのが「ジョン・ブル」です。 ジョン・ブルというのは、風刺画などで英国人の象徴として描かれ続けてきた人物の名で、十八世紀後半くらいを起源とし、現在に至るまで新聞などに登場する息の長いキャラクターです。ジョン・ブルは、重荷に耐えるキャラとして描かれてきたそうですが、「隠忍自重こそがイギリス人の精神として望ましいと考えられたから」(小林章夫「物語 イギリス人」文春新書)、それが英国人の精神を象徴していると言われているようです。苦しい時にこそぐっとこらえて頑張る精神を指して、しばしば「ジョン・ブル魂」などという言い方がなされます。
通底する話ですが、英国人が子供を叱る際によく使われる文句の一つとして、「ドント・パニック」というフレーズがあるそうです。危機に直面した時やままならない状態に置かれた時こそ冷静さを失うなという教えなのでしょうが、これも親が子供にジョン・ブル魂を注入する意図によるものといえましょう。 「苦しい時にパニックに陥ることなく、ぐっとこらえて冷静さを保つ」というのが、現代まで継承されてきた英国人の国民性の一つのようです。
(英国人がテロ攻撃にどう対応しているか) 今回のテロ攻撃に対する英国人の反応に関する日本のメディア記事で、ジョン・ブルに象徴される英国人の国民性を指摘するものが散見されました。以下、一例として、たまたまネットで見つけた読売新聞のコラムを引用します。
〈非常時こそ平常であれ〉――今、ロンドン市民の冷静さの根底にはこの行動原理がある。〈いつものように〉――これがテロに屈しない市民の合言葉になった◆本紙国際面の「季節風」欄にロンドン特派員がそう伝えてきた。爆破現場の立ち入り禁止のロープが見えるカフェが結構繁盛している。事件3日後の第2次大戦祝勝パレードも予定通り行われた◆週末の歓楽街もにぎやかだったし、週明けにはラッシュも戻り、株価も回復。このロンドンのスケッチを読んで、ロンドン市民に拍手と声援を送りたくなった◆〈ジョン・ブル〉という言葉も思い浮かべた。英国人の代名詞。ジョン・ブル魂は幼時から「うろたえるな」で育てられる。〈隠忍自重〉はその代表的な資質の一つであろう◆初めは〈やせ我慢〉でも美徳は美徳。忍耐は一朝一夕で身につく資質ではない。ジョン・ブルの忍耐には長い歴史がある。第2次大戦のロンドン大空襲、IRA(アイルランド共和軍)の連続テロ……◆かつてかのイートン校などでは真冬も窓を細く開けて寝たと伝えられている。 (2005年7月14日14時5分 読売新聞)
さて、この記事の内容、英国人の国民性に関するステレオタイプの説明をテロ後の現実に強引に結びつけて捏造された「お話」(新聞・雑誌のコラムなどでよくあるパターン)として見過ごすべきものでしょうか。 驚くべきことに、私が実際に当地で見聞したところでは、そうでもないようです。 最も象徴的な事例として、テロ翌日にリビングストン市長があえて地下鉄で通勤して、ロンドン市民に対して平静を取り戻すよう呼びかけている様がニュースで流れていました。市民レベルでも、こういう時だからあえて普段どおりの生活を送るべきという考え方を身近な人々の口から頻繁に耳にしました。時には、また考え方によっては、「痩せ我慢」とも取れるほどに隠忍自重を尊び浮き足立つことを避ける行動原理が、この国には今も根付いているようです。 「非常時こそ平常であれ」は、必ずしもメディアの見出しを飾るお題目ではないというのが、今回、テロ後のロンドン市民の様子から感じたことでした。
(痩せ我慢の精神) ついでに。テロの話から離れますが、上記のような英国人の国民性に関して、個人的に心に残っているエピソードがあります。ロンドン屈指の古美術商スピンクで働いていた日本人女性が、自らの経験を綴ったエッセイ「ロンドン骨董街の人びと」の中で紹介されていた話です。 以下に該当箇所を引用します。ロンドンの名門ホテル、グロヴナー・ハウス・ホテルで毎年六月に開催されるグロヴナー・ハウス・アンティックス・フェアという世界で最も権威ある古美術フェアの場で、実際に起こった話とのことです。
落ちる、落ちる、・・・・・・落ちた! 悲鳴は、スタンド・ワンのスピンクからだった。目玉商品の一つとして陳列されていた五万五千ポンド(1,260万円)の唐三彩の馬の像が台の上から転落し、首と足を“骨折”したのだ。犯人はどうやら、その側に呆然と立ちつくしている婦人らしかった。顔を真っ赤にして、どうしてこうなってしまったのかもわからない様子だ。 「ポーター、ご婦人に紅茶を」 ロジャー・ケヴァーン(スピンク東洋美術部の責任者で著者の上司−筆者補注)の声がした。すみやかにポーターに椅子を勧めさせ、アールグレイ・ティーを持って来させた。 内心では大損害に泣きたくなったはずだが、彼は英国紳士的な「痩せ我慢」を貫いたのである。つまりそれは、いかなる時にもうろたえてはならぬ、いかなる時にも弱者を庇うべし−という英国紳士のマナーである。乳母やパブリック・スクールの師の教えが、あるいは母の声が、彼の耳に咄嗟に蘇ったのだろうか。 (六嶋由岐子「ロンドン骨董街の人びと」新潮文庫、pp.231-232)
古き良き英国紳士の精神の形を示す美談なのでしょう。なかなか格好いいと思いませんか。
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