Experiences in UK
DiaryINDEXpastwill


2005年07月11日(月) 第100週 2005.7.4-11  Live8雑感、同時多発テロ発生、えっ?

ロンドンに来てから100週目に当たる先週は、色々なことがありました。テロ攻撃に関しては、家族・知人を含めて幸い難を逃れました。

(Live8当日のロンドン)
2日(土曜)、ロンドンのハイド・パークでLive8が開催されました。当日はこの影響で午後三時から九時までハイド・パーク周辺の道路が封鎖され、加えて同じ日にロンドンのピカディリー周辺でゲイの大規模なパレードがあり、こちらの影響で午前八時から午後二時までピカディリーなどの道路が封鎖されるという事態になっていました。
この日、仕事の関係で車を使ってオフィスに来る必要があったため、早朝に家を出て午後に帰宅したのですが、ハイド・パーク周辺には延々と人の波が続いていました。中心部の道路はどこも大渋滞しており、帰りのカー・ラジオで流れていたロンドン市街の交通情報が、”The main streets are chaos”と言っていたのが印象的でした。

(Live8雑感)
当初あまり見るつもりがなかったのですが、夕方に始まったマドンナの演奏から終了まで、Live8のテレビ中継を見てしまいました。印象に残ったのは、マドンナの貫禄たっぷりのパフォーマンスとトリ近くに登場した超ベテラン二組The WhoとPink Floyd(今回、最盛期のメンバーが集結)の演奏でした。
とくに、若い時分にLPからダビングしたテープを擦り切れるほど聴いていたPink Floydの演奏には、個人的に深い感銘を受けました。選曲もオールド・ファンにとって十分に満足のいくものだったと思います。
バンドの性質からして、Pink Floydの楽曲は大規模コンサートのトリをとるようなものではないのでは?とも思ったのですが、テレビに映し出された聴衆は1970年前後の英国が生んだロックの古典的名曲と独特のPink Floydワールドを楽しんでいるように見えました。大トリのポール・マッカートニーによるビートルズ・ナンバーの演奏は個人的にはいかがなものかと思いましたが、それは趣味の問題として、この国には国民的な財産としてロック文化が継承されているのだなと思いました。

演奏を離れた感想として、ロック・ミュージックという全世界に通用する文化を持つ英国の凄さを思い知った気がします。全世界で展開される大規模ロック・コンサートを英国が組成して、その中心を担うことができるのは、英国が現代世界にあまねく普及している文化(ロック・ミュージック)を生みだし、普及させ、継承しているからなのでしょう。
経済とか外交によるパワーとは違うもので世界を一つに束ねることができる英国の奥深さや底力を実感しました。

(ダンブレイン)
翌3日(日曜)から、スコットランドのグレンイーグルズで開かれたG8サミット関連の仕事で出張に出ていました。3日にエディンバラで一泊した後、4日(月曜)、グレンイーグルズの隣町であるダンブレインのホテルに入りました。

少し空いた時間にダンブレインの町を散策してみました。中心部は30分で歩いて回れるような小さな町でしたが、中心に川が流れているきれいな町でした。
町のシンボルである教会の隣に、ダンブレイン・ミュージアムという博物館があります。商売とか町の宣伝ではなく、一途な郷土愛だけで運営されている感じの、ザ・町の博物館といった風情に好感が持てました。暇そうな館長(?)のおじいさんは、日本のことを含めていろんなことをよく知っている人で、珍しい日本人客をつかまえてのお喋りに熱中し始め、立ち話が30分ほど続きました。

(ロンドン・オリンピック決定、えっ?)
6日(水曜)は、G8サミット開幕の日でした。正午を回ると、各国首脳を乗せた大型ヘリコプターが轟音とともに続々とグレンイーグルズの町に舞い降りてきました。

同日のお昼頃、2012年のオリンピック開催地がロンドンに決まったとのニュースが伝わってきました。ロンドナーを含めて誰もが結局パリに落ち着くだろうと考えていたので、この決定に驚かなかった人は少ないと思われます。ロンドンに住んでいる者としては、交通などのインフラがこんなにひどい都市でオリンピック開催が決定されるわけないと考えるのが自然です。

サミット開幕の日に朗報が舞い込み、議長のブレアとしては鼻高々だったことでしょう。今回のサミット期間中、グレンイーグルズはずっと好天に恵まれたのですが、そのことも含めて、つくづくブレア首相というのは運に恵まれた人だと思いました。
一方で可哀想だったのが、オリンピック開催候補都市の本命だったフランス(パリ)のシラク大統領です。先般の国民投票でのEU憲法否決のことなどに鑑みると、シラク大統領の運気が下がり目だということが好対照に印象づけられました。

(同時多発テロ発生、えっ?)
7日(木曜)朝、「ロンドン某駅で爆発(explosion)があり、地下鉄が止まっている」という知らせが、ロンドンからの携帯電話を受けた英国人スタッフからもたらされました。ただし、この時点でBBCテレビではまだニュースが流れておらず、しばらく事故なのか事件なのかも確認することはできませんでした(当初は電力系統の大きなトラブルと伝えられていた)。断片的な伝聞情報が入ってくるたびに、事態の深刻度合いが増すものの、確たることが分からずじりじりとして過ごしていると、やがてBBCで第一報が報じられて、単なる事故を超えた異常事態であることが分かりました。
午後になると、ブレアが記者会見し、「同時多発テロ」だったとの見方が本人の口から発表され、急遽ブレアが一時的にロンドンに戻るとの決断がくだされました。これにより一部のサミット行事が変更され、同日夕方には日英首脳会談の中止が決まりました。

その後、テロの関連では様々な情報が伝えられており、犯人グループを含めて事件の全貌がはっきりしてきました。
本件で一つ私が感じているのは、ブレアの対応が911後のブッシュとは全く違っているということです。
テロ攻撃の規模や国の立場が異なるため、911と比較するのは必ずしも適切ではないかもしれませんが、911直後のブッシュが「米国vsテロ組織(一部のイスラム国家)」という構図のもとに「目には目を」という強硬なメッセージを打ち出して、国民に対して愛国心と敵愾心を煽ったのに対し、ブレアが国際協調路線でテロ組織包囲網を形成しようとするスタンスを取っているのは、ブレアの賢明さを示していると思います。

ブレアもロンドン市長のリビングストンも、テロ攻撃直後のコメントで「今回、テロリストが標的にしたロンドンの住人の中には、クリスチャンもいればムスリムもおり、純粋な英国人もおればアジア系、アフリカ系、その他諸々の民族の人たちがいる」ことを強調していたのが印象的でした。
実際、今回の標的となったエッジウェア・ロードという街はイスラム系の住民が多く住む街でした。なぜこの街が狙われたのかは不可解です(この点など今回のテロ攻撃には解せない点がいくつかあり、組織の中で錬られた計画という印象からかけ離れています)。

また、テロ翌日の金曜日に発売されたエコノミスト誌が、いち早く巻頭のLeadersでテロ攻撃に関して主張していた内容も、冷静でバランスの取れた意見だと思いました。
この辺り、この国の芯の部分にある良識みたいなものに感心させられるところです。

テロ攻撃から数日経ったロンドンは、依然として部分的に地下鉄がストップしているものの、街の様子は普段とまったく変わりなく、ユニオンジャックがやたらと掲げられるとかそういういきりたった雰囲気は微塵も感じられません。


DiaryINDEXpastwill

tmkr |MAIL