Experiences in UK
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2004年06月28日(月) 第46週 2004.6.21-28 BBC番組で切れたクリントン、トニー・ブレアとビル・クリントン

うちから歩いて1分程度の場所にパブが1軒ぽつんとあります。先週木曜、帰宅の前にビールを1杯だけ飲んでいこうと立ち寄ったのですが、店内に据え付けてある大画面テレビの前に大勢の人が群がって盛り上がっていました。サッカーEuro2004のイングランド対ポルトガル戦が始まる直前だったのです。
ご承知の通り、イングランドは大接戦の末に悔しい負けを喫してしまいましたが。

(BBC番組で切れたクリントン)
米国の前大統領ビル・クリントンの自叙伝「マイライフ」出版が大きな話題を呼んでいます。クリントンは、同書の出版キャンペーンの一環としてBBCの硬派ドキュメンタリー番組Panoramaに出演しました(BBC1で22日夜放映)。
番組は最初から最後まで50分間にわたって「マイライフ」の内容に関するインタビューだけで構成されていました。インタビュアーは、BBCのベテラン花形キャスターのデービッド・ディンブルビーです。
私はたまたまこの番組を最初から最後まで見たのですが、緊迫感のある珍しいインタビューでした。このような大物へのインタビューは通常、予定調和で終始するものです。今回もそうだろうという予見のもとに軽い気持ちで見始めたのですが、途中から何やら様子がおかしくなってきて、クリントンがあからさまに気色ばんできたため、引き込まれるように最後まで見てしまいました。

雰囲気が変わり始めたのは、インタビュアーがモニカ・ルインスキーとの不倫問題に関して「本当に悔い改めているのか?」といったようなことを執拗に問い質し始めてからです。最初は軽くいなしていたように見えたクリントンも、次第に苛立ちを隠しきれなくなり、何度もインタビュアーの発言を遮るなどあからさまに「切れた」応答をし始めました。
翌日のデイリー・テレグラフ紙が、このインタビューを記事で取り上げています。同紙曰く「モニカ・ルインスキー問題でクリントンが公に怒りを露わにしたのは今回が初めて」とのことです。また、BBC役員の同番組に関するこんなコメントも紹介されています。「クリントンの人間性に関する普段とは違った側面を引き出した非常に貴重なインタビュー番組だった」。
たしかに、ボブ・ウッドワードの著書などで紹介されている「切れたクリントン」を見ることができたのは、実に貴重な体験でした。

(「マイライフ」書評)
さて、クリントンの自叙伝「マイライフ」は、米国を中心に「ハリー・ポッター」並みの前評判となっていましたが、英国でもどの書店をのぞいても一番目立つところに平積みされています。私も発売前の時点で予約購入しようかどうかさんざん迷いました。米国繁栄の90年代をもたらした最大の功労者で、かつ人間的にやや常軌を逸したところのある興味深い人物でもあり、さらに稀代のスピーチ上手でエンターテイメントの才能も十分に持っているクリントンの自叙伝であれば、かなり期待していいのではないかという思惑がありました。結局、九百何十ページの英語の本をしっかり読み切る自信がなかったので、ひとまず予約は諦めました。
ただ、ぽつぽつ出始めた書評を見ていると、買わなくて正解だったような感じです。英語の本を読む労力プラス他の本を読む時間を奪われる機会費用との見合いで考えると、どうやら得られる便益は少なそうな気配がします。
22日付ガーディアン紙が各書評の要約を特集していたのですが、これらのなかでも飛び抜けたこき下ろし方をしていたのが、ニューヨーク・タイムズ紙の書評です(20日付Book review)。原文にも当たってみたのですが、一部をご紹介するとこんな調子です。「この本は、950ページ以上もあるのだが、散漫で独りよがりで、読んでいて何度も眠くなるような退屈な本だ。この本は多くの点でクリントンの大統領時代とそっくりである。つまり、ディシプリンに欠けているが故にせっかくの機会を台無しにしており、独りよがりや冗漫な記述により高い前評判を損ねている」。

ところで、このニューヨーク・タイムズ紙の書評子ですが、名前を見るとMichiko Kakutaniとなっています。どうして日本人のような名前なのだろうと気になったので調べてみたところ、書評の分野において全米一の影響力をもつビッグ・ネームだったようです。
ニューヨーク・タイムズ紙で20年以上も書評を担当しているベテランで、どんなに大物の作家に対しても歯に衣を着せない激辛の書評を格調高い独特の文体で堂々と発表することで有名な方のようです(もちろん誉めるべきものは誉めるのでしょうが)。また、メディアや業界における本人の露出が極端に少ない方らしく、日本人の著名数学者を父に持ち、現在はNYで暮らしているらしいということくらいしか分かりませんでした。

(トニー・ブレアとビル・クリントン)
中道左派の立場から政界に新風を送り込んだ戦後世代のリーダーということで、クリントンとよく並び称せられるのが英国のトニー・ブレア首相です。就任当初のブレア首相の代名詞ともいえる「第三の道」という言葉も、最初に使い始めたのはクリントンでした。両者は、ともに米・英の両大国の再生に成功し、奥さんが才色兼備のスーパー・ウーマンである点まで酷似しています。
ブレアが労働党の党首になって今年で10年目ということで、先日、チャンネル4でブレアの足跡をたどる2時間のドキュメンタリー番組がありました(In search of Tony Blair)。クリントンについては、個人的なバック・グラウンドを含めてある程度の知識があるのですが、ブレアについては必ずしもよく知らなかったので、この番組も興味深く見ることができました。ある政治学者の道案内により、ブレアの半生を多くの人々へのインタビューによってたどるという構成です。

番組を見終えて強く感じたことがありました。それは、表面的にはよく似通っているブレアとクリントンですが、政治家としての人間性の面では大きな差異があるのではないかということです。
ブレアという人の政治活動のバックボーンとして、やや青臭い社会正義などへの思いが大きな比重を占めているように感じました。言葉を変えると、ときに倫理とか信念、信条などのモラルに基づいた政治決断をくだす傾向があるということです。番組の中では、宗教への篤い信仰心と労働党員という意味では同志であるシェリー夫人の助言が紹介されていました。彼の政治決断に大きな影響を与えているファクターとして、宗教心と労働党員としての志があるということです(なお、ブレアは学生時代以来の熱心な英国国教会の信徒。ちなみに、シェリー夫人やこどもたちはカトリック)。
これらは当たり前のようでいて、現実には生臭い政治家を飽きるほど見ている我々にとって、ブレアはかなり新鮮な政治家のように思えました。見方によっては、大国のリーダーとしては少し小市民的で頼りなげにも映りますが、ブレアの「売り」である誠実なイメージは、かなり実態に基づいたものでもあるように感じられます。

一方で、クリントンの場合は、そのような青臭い精神性には微塵もとらわれずに、打算的で自己顕示的な態度をベースにした漲るパワーで米国を引っぱっていたように感じます。BBCに出演していたクリントンは、現役時よりも加齢による貫禄を増していて、マフィアのボスのような凄みさえありました。
絶大な権力を持つ立場の者としてはあまりに人間的なブレア首相と「力への意志」に満ちて「超人」然とした感さえあるクリントン前大統領の対比の背景には、歴史や伝統などの人間の営みに対する意識が濃厚な英国とそれが希薄な米国という国家としての性質の違いがあるのではないか、というやや飛躍した仮説にまで思いをめぐらせてしまいました。


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