Experiences in UK
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2004年07月05日(月) |
第47週 2004.6.28-7.5 ヘンマニア、シャラポワ、ウィンブルドン雑感 |
うちから歩いてすぐの場所に通称チベット・コーナーと呼ばれる大きなラウンド・アバウトがあり、ここで道路がパットニー、キングストン、ウィンブルドンなどの各方面に分岐しています。この週末、チベット・コーナーを中心にうちの近くの道路は大変な混みようでした。ウィンブルドンの全英オープンテニス観戦に向かう車両が各地から押し寄せたためです。
(ヘンマニア) 英国人No1テニスプレーヤーのティム・ヘンマンに対する英国民の思い入れは、尋常ならざるものがあります。英国ではヘンマンを偏愛するテニスファンのことをHenmaniaと呼び、とくに毎年この時期の英国にはヘンマニアが急増するようです。 何しろこの数十年の英国人テニスプレーヤーの中で最高の成績を残している選手であり、ヘンマンは数十年分の英国テニスファンの期待を一身に背負っています。実際に、ヘンマンは96年以降のウィンブルドン大会において、2000年を除いて毎年準々決勝まで勝ち進んできました。ただし、ウィンブルドンで決勝戦の舞台を踏んだことは一度もなくて、毎年いま一歩のところでの敗退が続いています。英国人にとってヘンマンのウィンブルドン制覇は悲願中の悲願なのです。
準々決勝進出をかけた月曜日(28日)の試合では大接戦の末に勝利をもぎ取りました。タイブレークにもつれ込んだ第4セットのセンターコートは異様な熱気に包まれていました。ウィンブルドンのセンターコート観客席でウェイブ(86年のサッカーW杯メキシコ大会で流行したために英語でmexican waveというらしい)を見るなんて、固陋なまでに保守的なことで有名なウィンブルドン大会においては、かつては考えられなかったことです。 接戦を制した翌日の新聞報道がまた尋常でないほどのはしゃぎぶりでした。タイムズ紙の見出しは、”Mr Cool manages to avoid doing a Henman”となっていました。いつも冷静なヘンマンのことをMr Coolと称し、いつも接戦の末に破れることをもじってdoing a Henmanと表現しています。今回はいい意味で予想を裏切って接戦を制したために、英国民の期待はいやが上にも盛り上がりました。
ところが、そのヘンマン、水曜日(30日)の準々決勝でノーシードの20才の選手に敗れてしまいました。くじ運からいっても今年のヘンマンはついているというのが一般的な見方でしたので、英国民は総がっかりです。ヘンマンらしくなかったために余計に哀しみを倍加させたのが、0-3のストレート負けを喫したことです。 翌日のメディアの報道は、ヘンマンがこれきりで引退するのではないかとの観測が流れたこともあり、いかにも重苦しい記事が並びました。それでも、各メディアの扱いから滲み出ていたのは、英国民のヘンマンへの愛情です。いつも冷静で紳士的な態度を貫きつつ、十分な実力がありながら肝心なところで負けてしまうヘンマンのことを英国民はこよなく愛しているようです。
もっとも象徴的な記事が7月1日付タイムズ紙の一面に掲載されています。”Let’s celebrate a winner as Henman loses again”と題されたその記事は、ヘンマンの過去のウィンブルドン大会での健闘を讃え、敗者ヘンマンを責めるべきではないという主旨のものでした。ヘンマンの素晴らしさを示すエビデンスとして、以下のようなデータが掲載されていました。 「ヘンマンはベッカーよりも上?」 (ウィンブルドン出場回数に対する準々決勝に進出した割合のランキング) 1. 9/8 Bjorn Borg 2. 10/8 Tim Henman 3. 15/11 Boris Becker 4. 14/9 John McEnroe 4. 14/9 Pete Sampras 6. 11/7 Rod Laver 記事の締めくくりはこうです。「ありがとう、ティム。今年もまたウィンブルドンでの重圧は大変だったね。来年もまたしんどい思いをしようぜ」。阪神ファンを上回る愛情あふれるコメントではありませんか。
さらに、2日付同紙には、自称ヘンマニアの少年がどうして我々はヘンマンが好きなのかを綴った投書をしていました。その中で印象深かったのが、次の一節です。「ティムは単に国籍が英国というだけではなくて、彼は英国の精神そのものなのだ。彼は、イングリッシュネスを体現した最高の英国大使として世界中を回っているのであり、サッカーのフーリガンからの連想で地に墜ちつつある英国の評判を修復させている」。 英国人が理想とするイングリッシュネスを知りたければ、ヘンマンのプレーをウォッチするのがいいようです。
(ウィンブルドン冷やかし記) 1日(木曜)、所用により午後に休暇を取得していたので、夕方から大会10日目の全英オープンを冷やかしに行ってみることにしました(現在のロンドンは9時過ぎまで青空が残っています)。うちから会場までバスと徒歩で20分程度です。 夕方4時半頃に会場入りしました。この時間帯であれば、入場チケット(一人12ポンド)は並ぶこともなくゲットすることができます。会場内には、19のグラウンド・コートとshow courtと呼ばれる3つのスタジアムコート(センターコートとNo1コート、No2コート)があり、グラウンド・コートは座席指定がなく、いつでも観戦することができます。 入り口近くにあるボードを見ると、久しぶりに復帰したナブラチロワ(47才!)のミックス・ダブルス準々決勝がグラウンド・コートで組まれていたので、これを見に行くことにしました。ナブラチロワのプレーには、さすがに往年の面影はありませんでしたが、若いジンバブエ人のコンビ(ブラック兄妹)相手に大接戦を繰り広げていました。我々は試合途中で帰ってしまったのですが、この試合は2回の日没サスペンディッドを経て3日がかりで決着がつく大接戦となり、結局ナブラチロワ組みは敗退してしまいました(対戦相手のブラック兄妹は、その後も勝ち進んで優勝)。
会場北端にあるNo1コートでは、杉山愛の女子ダブルス準決勝戦が組まれていました。これらshow courtのチケットも、夕方から売り出されるリセール・チケット売場で少し並べば、比較的容易にゲットすることが可能です。ということで、並びに行ったのですが、息子と一緒に並んでいたところを係員に呼び止められ、「show courtには5才未満のこどもは入場できない」と言われてしまい、残念ながら杉山組の応援は断念せざるを得ませんでした。 No1コートの外側は芝生の小高い丘になっています。スタンジアムの外壁に設置されている巨大なスクリーンで、センターコートなどshow courtの試合の模様が常時放映されていて、show courtに入れない多くの観客がビール片手に試合の様子を観戦していました。この丘、正式名称もあるのですが、通称をヘンマンズ・ヒルと呼ばれており、毎年多数のヘンマニアがここで盛り上がっているそうです。
(シャラポワ) 今年の全英オープンの話題の目玉は、なんといっても女子シングルスにおいて、マルチナ・ヒンギスに次いで戦後二番目の若さで優勝したロシア人の新鋭マリア・シャラポワ(第13シード、17才)です。準々決勝(杉山愛)、準決勝(リンゼイ・ダベンポート)と、いずれも逆転で勝ち上がるというプレーにおける活躍とともに、そのチャーミングな容姿が英国メディアで大注目を集めました。この間、タイムズ紙などは”Ave Maria(ようこそマリア)”という見出しのフィーチャー記事を掲載したりしていました。 決勝戦はテレビ観戦したのですが、BBCで女子決勝戦を解説していたのは、ジョン・マッケンローとトレーシー・オースティンの二人でした。我々の世代にとっては、懐かしくかつ豪華な解説陣です。決勝戦は、相手のセリーナ・ウィリアムズがまったく本領を発揮できなかったことにも助けられましたが、パワーに対して瞬発力とプレースメントで対抗したシャラポワのプレーも見事でした。
週明けの報道も溌剌とした戦いぶりへの賛辞であふれていましたが、タイムズ紙には容姿に着目した面白い記事がありました。ロシア出身で美貌のテニスプレーヤーといえば、アンナ・クルニコワを誰もが連想するわけですが、最近はテニスでさっぱり奮わなくなったクルニコワを他山の石とせよという内容です。「クルニコワのような末路を辿らないための六つの方法」として、以下があげられていました。1.試合に勝つこと。2.著名人のボーイフレンドを作らないこと。3.テニス以外のこと(財テクとか)にかまけないこと。4.セクシーな衣装を身につけないこと。5.ダブルスのパートナーとの関係を良好にすること。6.両親に冷たくしないこと。シャラポワにとっては大きなお世話なのでしょうが・・・。 それにしても、今年の女子シングルスの上位シードを見ると、シャラポワの13シードまでで半分以上がロシア人となっているのには驚きました。
(ウィンブルドン雑感) ウィンブルドンの全英オープンに関するメディア記事を見ていると、SW19という表現が頻出します。これは、ウィンブルドン地区の郵便番号であり、ウィンブルドンのテニス大会を示す符丁になっています。例えば、シャラポワに関するある記事の見出しを拾うと、”Blonde bombshell: From Siberia to SW19 -the rise of Russia’s Maria Sharopova”といった具合です。 郵便番号で表現されてしまうというのは、それだけこのテニス大会が特別だということを示唆するのでしょう。今回、実際にその華やぎに接してみて、改めてそのことを再認識させられました。 7月2日付のフィナンシャルタイムズ紙に、英国は有力なテニスプレーヤーが少ないけどウィンブルドン大会を持っていることを誇りにしようという内容の論説記事が掲載されています(Wimbledon: Britain’s undisputed world number one)。曰く「結局、全英オープンが醸し出している独自性の多くは、テニスとは関係ないところにあるのだ。それは、(会場で売られている)ピムズやストロベリー、show courtsにいる軍人のように折り目正しい接客係、不順な天候に耐えつつの観戦、そしてどのテニス大会よりも古い過去の歴史である」。 テニスの四大大会の中で全英オープンが「特別」であることはテニスファンの間では常識な訳ですが、実際に会場に足を踏み入れるとそれを改めて確認する思いがしました。ウィンブルドンの独自性を構成する要素について、上記FT紙記事に付け加えるとするならば、選び抜かれたボール・ボーイズ&ガールズのきびきびとした仕事ぶりと十年一日の如く変わらない審判の威厳に満ちたコールがあげられるでしょうか。
今年のウィンブルドンは、いい大会だったという評価が多いようです。女子シングルスで超新星(となりうるタレント)が出現したうえに、男子シングルス決勝戦(フェデラーvsロディック)が印象深い好ゲームだったことがそのような評価につながっているのでしょう。7月5日付FT紙は、今年の男子決勝戦が、二つの意味でウィンブルドン大会の伝統に沿った素晴らしいものだったと述べています。第一に、卓越した技を軸にした好ゲームだったこと。第二に、試合後の優勝者と準優勝者のコメント・態度が立派だったことです。 前者については、私も同感でした。FT紙はこのように述べています。90年代以降のテニス界はパワー全盛の時代であり、「テニスのクォリティという点では、20年以上昔であるボルグ、コナーズ、マッケンローの時代に時計の針を戻さねばならない。それは懐古趣味的なくだらない話なのかもしれないけど。(中略)しかし今や我々は、卓越した強さと優雅さと体力を兼ね備えたプレーヤーを得ることができた」。 後者について、同紙記者はロディックのコメント(”I threw the kitchen sink at him, but he went back and got the tub”)がウィンブルドン決勝における敗者の古典的なものだと言っています。力を尽くして及ばなかったことを率直に表現する様に対して好感が持たれているようです。
ヘンマンやウィンブルドンの全英オープンを通して、英国人がどんな価値観の人たちであり、どんな価値観を大切にしようとしている人たちなのかが、少し実感できた気がしています。
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