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2004年03月22日(月) 第31-32週 2004.3.8-22 St.Patrick's Day

(St.Patrick's Day)
3月17日はSt.Patrick's Dayでした。アイルランドの守護聖人である聖パトリックを祝う日であり、アイルランド共和国と英領北アイルランドでは休日になるようです(イングランドでは違います)。
英国とアイルランド共和国には、それぞれ4人の守護聖人と呼ばれるキリスト教の偉人がいます(イングランドは聖ジョージ、スコットランドは聖アンドリュース、ウェールズは聖デビッド)。イングランドを除く各地域では、守護聖人の日は特別な日になっているようです。

聖パトリックは、5世紀にアイルランドにカトリックを伝道した司教であり、その献身的な伝道活動から数々の伝説とともに歴史に名をとどめています。現在も国の象徴となっているシャムロック(三つ葉のクローバー)を手にして、父と子と聖霊の三位一体を説いたとされます。また、布教に当たって土着宗教(ドルイド)に対しても寛容な姿勢をみせたことが地元の人々に大いに受け入れられたといいます。この結果、アイルランドにはドルイドの神々が妖精として生き残り、多くの妖精伝説が根付いたとされています。
アイルランド人と世界中のアイルランド系の人々は、毎年のSt.Patrick's Dayにはナショナル・カラーである明るい緑色のものやシャムロックを身につけてこの日を盛大に祝います。St.Patrick's Dayにちなんだパレードやお祭りは、確か東京でもしていたと思うのですが、おそらくニューヨーク在住経験のある方々には非常になじみ深いものと思われます。なにしろアイルランドは、島民人口が3〜4百万人であるのに対して、アイルランド系の移民は米国(とりわけニューヨーク)を中心として4〜5千万人近くいるといわれています。

アイルランドは哀しい歴史を持つ国です。何百年にもわたってイングランドからの様々な形での支配を受け続け、17世紀には清教徒革命という熱病の余波でクロムウェルによる侵攻・大虐殺という悲惨な歴史体験を持ち、19世紀半ばに極めて地味の悪い国土で唯一の収穫物であるジャガイモの大飢饉に見舞われました。ジャガイモ飢饉の際には、900万人の人口のうち100万人が餓死し、150万人がアメリカに移住したそうです。これを司馬遼太郎氏は、「傾いたテーブルから豆がこぼれ落ちるようにして大西洋に浮かび、アメリカに移民した」と表現しています(「愛蘭土紀行」)。
その後も、イングランド(連合王国=UK)との独立をめぐる政治闘争、極度の経済不振という厳しい状況から国民の流出は続き、人口は飢饉発生時から半分以下にまで減ってしまいました。北部の一部州を除くアイルランドは1919年に独立を宣言し、1949年に完全に英連邦から脱退し、正式にアイルランド共和国が成立しています(ちなみに90年代以降のアイルランドは、ケルティック・タイガー=ケルトの虎と呼ばれたほどに経済が目覚ましい好調ぶりを示し、現在もEUの優等生のひとつに数えられています)。

さて、ロンドンにおいては、このSt.Patrick's Dayもごく一部の地域を除いて催し物等が開かれるわけではありません。この日がそういう日だと気づかずに過ごしているロンドナーも多数いると思われるほどです。
ただし、アイリッシュ・パブだけは別です。仕事が終わってから職場近くのアイリッシュ・パブをのぞいてみたところ、店内に入りきれない人たちが外まであふれてグラス片手にギネス・ビールを飲んでいました。もちろん飲みに来ているのはアイルランド人ばかりというわけではなく、イングランド人も含めてこの日にかこつけて盛り上がっているのです。
私も便乗組に紛れて店外でギネスを立ち飲みして帰りました(英国もようやく日によってはパブの外でビールが飲めるくらい暖かくなってきました)。聖パトリックに乾杯はあまりにしらじらしいので、先日のラグビーでのアイルランド・チームの対イングランド勝利に乾杯、と心の中でつぶやきつつおいしいビールをいただきました。


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