コーヒーつれづれ
     2003年10月16日(木)

 実家の人間は紅茶党である。朝食はダージリンのミルクティー、お茶の時間には砂糖無しでレディグレイを、寒い夜には赤ワインをたらしたピュアセイロン、などと書くとなんだか優雅で好さそうに思えるのだけれど、現実の実家はやたら庶民的なにおいに包まれている。そもそも実家で「こうちゃ」と言って皆の頭に思い描かれるものは、朝ごはんと一緒に出てくるミルクティーである。紅くない。半分以上が牛乳なので白い。ダージリンで淹れようがアールグレイで淹れようがわからないくらい牛乳である。ダージリンは父のこだわりである。アールグレイは嫌いらしい。
 この「こうちゃ」というのは実家の飲み物事情をよく表している。うちの冷蔵庫にある飲み物と言えば牛乳で、お茶といえば紅茶である。緑茶は意外なほど影が薄い。
 そんな家で育った私は、コーヒーと縁遠い。よく飲むようになったのは大学に入ってからである。紅茶からコーヒーに移った理由はただ一つ、インスタントなら時間も手間もかからないから。紅茶は葉っぱから淹れるもの、時間も手間もかかるもの。コーヒー好きな人に言ったら怒られてしまいそうな話である。
 しかし、実家で生活していたころに全く何の関わりも持たなかったかというと、そうでもない。口にする機会こそ少なかったけれど、コーヒーというもの自体に関しては、私は多少の憧れすら抱いていた。
 ダージリンが父のこだわりだというのは前に書いた。父も紅茶党ではあったけれど、コーヒーが嫌いなわけではなく、逆に好きだったのだと思う。私がインスタントコーヒーを飲むようになったのと同じ理由で、あの人は紅茶を飲むようになったのだ、と思う。
 実家の台所の食器棚の最下段は、引き戸になっている。料理の本や氷砂糖、ドライフルーツ、コルク製のコースターに駄菓子など、雑多でとりとめもないものがぎゅうっと押し込まれていて、全体がひとつの同じ、少し酸っぱいようなひんやりしたにおいのうちに収まっている。
 その中に、ターコイズブルーに緑を混ぜたような色の冷たい缶と、コーヒーミルが在った。
 見つけたのは小学校低学年の頃である。おやつはいつもそこに仕舞われているので、学校から帰ってくるとまず冷蔵庫を開けて牛乳を出して、食器棚の引き戸を開けてお菓子を出す。お菓子は無いときの方が多い。お菓子は虫歯のもとだから。父は子供の健康のこととなるととにかくうるさかった。子供の方としては、しょっちゅうは食べられないものだから余計にお菓子が食べたくなる。何か無いものかと家中探してしまう。いじましい。今になって私が駄菓子やら食玩やらに過剰な愛情を傾けてしまうのも、そのころ満足するということを知らなかったせいだと思う。要するに父が悪い。
 それはともかく、私の諦めが悪かったおかげで、その缶とコーヒーミルとは何年かぶりに日の目を見ることになった。いや、そこに在ることは忘れられてはいなかっただろう。それは父の独身時代の所有物である。父は蒼白く細く神経質そうな貧相な青年だった。写真ではハイネックの細身のセーターをよく着ていた。私が見つけたコーヒーミルは、その神経質な男に使われるのがふさわしいようなレトロなデザインで、当然のようにその頃の私にはそれが何をするための道具かはわからなかった。丸い冷たい缶の方は、上下に振るとがらがらと音がする。蓋は固くて開かなかった。缶の表面に書かれた文字は外国語で読めない。
 仕事から母が帰ってくるまで、私は台所でひとりで遊んでいた。ケースに入ったコルクのコースターを取り出して並べて立てて、端から倒すドミノ遊び。倒れこんでいく最終地点がコーヒーミル。何をするものかわからないから興味だけは尽きなかった。ハンドルをぐるぐる回してみる。鈍い銀色の漏斗型の下には穴があいていて、木の台座に掘られた小さな抽斗の中につながっている。その抽斗の取っ手の金具はとろけそうな色をした金属で、丸い先端だけが手の中で温まらずにいつまでもその形を温度で伝えていた。今もこうしてちゃんとその姿の詳細を思い出せる程度には、私はそれでよく遊びよく観察していた。
 母が声をかける。何やってるの。片付けなさい。私は訊いた。これなに。なにするためのもの。缶を手渡すと母が言う。これはブルーマウンテン。コーヒー豆だよ。そっちは豆をすりつぶすためのもの。さあ、もう仕舞って。ばんごはん作るから。
 そうして私はその道具と缶をまた引き戸の中へ隠した。コースターのケースできっちり隠し場所に蓋もした。妹や弟に見つかって壊されないように。缶の名前も覚えた。ぶるーまうんてん。ぶるーまうんてん。その名前には聞き覚えがあった。父がたまに会話の端に乗せることがあった。英語を知らなかった私には奇妙な響きに思えた。ぶるーまうんてん。マウンテンゴリラしか連想されない。
 父がコーヒーに持つこだわりはブルーマウンテンなのである。それ以来、ごくたまにそのコーヒーミルが使われているところを目にするようになった。例の青い缶から豆を出して、銀の杯にざらざらと入れてごりごり擂る。実家にはコーヒーメイカーが無い。どうやって淹れていたのかよくわからない。よっぽど父に時間の余裕があるときにしかコーヒーと遭遇する機会は無かったけれど、私は確かにそのコーヒーを飲んだのである。初めてのコーヒーの味はひたすら苦くて、ひと口で諦めてしまった。憧れのぶるーまうんてんが稀に風邪をひいたときだけ飲まされる薬の味に堕ちる失望。それからはお出掛け先に出されるコーヒーにまで角砂糖五個クリーム五個放り込んでからでなければ安心できなくなった。
 受験期、勉強の合間に二階の自分の部屋から台所へ下りて淹れたものは、アールグレイのロイヤルミルクティーが多かったと思う。私が高校に入るまで、実家で飲んでいた紅茶はほとんどティーバッグだった。葉っぱにこだわりはじめたのは私が最初で、そのあとから私も私も、と母と妹が乗ってきた。流されやすい上に格好つけるのが好きな可愛い弟はすぐに葉っぱに切り替えたけれど、長い間父は葉っぱから紅茶を淹れるのを面倒くさがっていた。朝ごはんの「こうちゃ」にアールグレイを使うと文句をつける。けれどもダージリンだったら葉っぱだろうがティーバッグだろうがお構いなし。紅茶を好きで飲むくせに、自分で淹れるなら当然のようにティーバッグである。多分、今も。けれどコーヒーはインスタントなどでは飲まない。
 アールグレイのロイヤルミルクティーが妹と母と私のあいだで流行したのと時を同じくして、家にはインスタントのコーヒーが常備されるようになった。電子レンジで温めた牛乳に顆粒状のインスタントコーヒーを入れるだけのカフェオレを、弟が好んで飲むようになったからである。弟の作るカフェオレは気持ち悪くなるくらい甘い。苦いのが駄目、と言っていた。
 父がカフェオレを飲んでいるところは見たことがない。

 大学に入って一人暮らしを始めてから、私もその「カフェオレ」を飲むようになった。牛乳が家にあるときに限った話である。今では葉っぱから紅茶を淹れることは少ない。嫌いになったわけではないから葉っぱだけならたんまりある。ただ、怠惰が手間を惜しませる。お湯を沸かして淹れるものは、インスタントのコーヒーばかりだ。銘柄は気にしない。ひどく濃いのをブラックでがぶがぶ飲む。きっと体に悪い。
 苦いものを口にするのにためらわなくなったのはいつからかわからない。甘いものが好きである。どちらかといえば子供の味覚のままこの年齢になったけれど、コーヒーはブラックだし煙草は重い。そういえば実家の両親はセブンスターを吸っている。幾つになっても軽くする気配は無い。これもこだわりなのかもしれない、と思っておく。どこにでも売っているから、というのが当たりなのだろうけれど。
 そういえば以前、父と母と弟が私の一人暮らしの部屋をたずねて来たときに、大学そばの喫茶店に皆で入ったことがあった。私はマンデリンを、弟はカフェオレを頼んで、お父さんは、と訊くと、当然のように父は「俺はブルーマウンテンだ」と答えた。久しぶりに聞くその名前に、唐突に懐かしさを覚えたのを考えてみれば、よく行くその店に「ぶるーまうんてん」は無かったのである。父は結局ブレンドコーヒーをアメリカンで注文した。コーヒーに関してはどうでもいい母は、お父さんと同じの、とやはりどうでもよさそうに頼んでいた。甘みのあるカフェオレに更に砂糖を入れる弟を尻目に私はやはりブラックで飲み干した。ぶるーまうんてん以外のコーヒーを飲む父というのは、多分初めて見るものだったに違いないけれど、表情も何も詳しくは覚えていない。
 このエッセイを書くために、今日は久しぶりにインスタントのコーヒーを飲んでいる。温かいうちは気にならないけれど、久々に飲むでたらめな濃さのインスタントは、冷めてくると胸に重いし苦い。それでもやはり嫌いではない、と思う。こだわっていないからか。時間も手間もかからないものを選んでも、それに入れ込むことにはならない。今、紅茶党かコーヒー党かと聞かれれば、コーヒーの方をよく飲むけれど、と答えるだろう。父は相変わらずティーバッグで紅茶を飲むことの方が多いだろう。たまにブルーマウンテンを思い出したように飲んでいるかもしれない。わからない。
 父は最近口髭と顎鬚を剃って後ろで結っていた髪を切ったらしい。法事と親戚の結婚式のためだ。髭も長髪もこだわりではなくていいかげんに伸ばしていただけだったのだが、私はそれを気に入っている。また伸ばすといい。写真の中にいた神経質そうで潔癖そうな男は今、ブルーマウンテンを飲んでいたカップをビールグラスに持ち替えて、じわりじわりと順調に腹の肉を溜め込み続けている。私は逆に肉を手放し続けているけれど、それはコーヒーのせいでも煙草のせいでもない。嗜好品が体に悪いのは当然、と言いたいわけではなくて、ただ愛すべきものに魅入られた愛すべき馬鹿が自分でよかったな、と思うだけである。



/出題「コーヒー」

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