文
- たくさんのわたし
2003年05月23日(金)
私は、自分の性別について日頃忘れようとしているが特に否定する気もない女である。 私は、目的意識が薄く、理由もないがここに居る学生である。 私は、親に依存し甘えることを恥じ入りもしない娘である。 私は、明文化すること口に出すことを避けて停滞する半固形物である。 私は、好きなことも嫌いなこともとりあえず後にまわすナマケモノである。 私は、思い出ばかりが大切でふりかえりばかりしていると父親に言われたニヒリストである。 私は、体温調節の得意な定温動物である。 私は、自衛のできない無関心である。 私は、紙を大量に扱う仕事をする際には意識して指先から汗を出せる器用な編集係である。 私は、基本的にはぬいぐるみに執着しないけれども、もらいものだとべたべたに可愛がってしまう単純な女の子である。 私は、時間にルーズで何でもたいてい10分から15分遅れて行動する電池切れの時計である。 私は、3ヶ月前まで携帯電話を持っていなかった亜アナログ人間である。 私は、耳そうじが大好きなのに、綿棒をいつも買い忘れるうっかり者である。 私は、文字を書くのが好きな割に書く文字に気を遣わない非完璧主義者である。 私は、他の兄弟とはもはや立場の入れかわった手のかかる長女である。 私は、ぼんやりする時間が意識外にあたりまえのように多い石である。 私は、他の何かでありたいと思うことがくだらないと思いはじめたみみずである。 私は、肌色のクリームをぬりたくって肌色をおおう居酒屋のアルバイトである。 私は、歌うことが好きな割に歌うことから逃げるひねくれ者である。 私は、水の中にただよっている夢を見たいのに空ばかり飛んでいる紙飛行機である。 私は、眠りの誘惑に弱いもぐらである。 私は、興味のあることにしか動かない子供である。 私は、お金を遣ったことをすぐ忘れる浪費家である。 私は、必要なことをすぐ忘れてしまうのりづけの悪い付箋紙である。 私は、要領を覚えるまでに時間がかかるのが弱点の単純作業用機械である。 私は、物を集めるのが好きな割に底が抜けて何も残らない小さな鞄である。 私は、規格から外れるのを恐れる工場製品に擬態した油ねんどである。 私は、できるかぎり「他の誰か」であろうとする鏡である。 私は、嘘をつかないと自分に嘘を教えた、ただの虚構の跡地である。
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