観察二十八日目
     2003年02月19日(水)

「パイナップルとピーマンだ。」
 炯太は憮然とした顔付きで、目の前のどうにも似合わない二つの食材を見下ろした。「どう見てもパイナップルとピーマンだ。」
 そんな様子で何度も同じ言葉を繰り返す炯太に、芳は小さくため息をついた。
「だから、それがどうしたの?」
 芳がいつものように炯太の部屋にやってきて、かれこれ一時間近く経つ。今までにも変だ変だと思うことはよくあったけれど、今日ほどおかしいと思ったことはなかった。
「実家から送られてきた」
 相変わらず目は二つのころころした食べ物から離さない。視線を逸らしたら逃げ出すというわけでもないだろうに、と半ばあきれながら、芳も同じように二つの食材を眺めてみた。パイナップルの葉も、ピーマンの表皮も、なんだかやけにてらてらとしている。家具らしい家具がひとつもない、四角い箱のような炯太の部屋で、生命感や躍動感すら感じられそうなそのお二方は、あからさまに不自然で異質だった。
「送るにしたって、どうしてその二つを選んだのかしらね?」
「実家で作ってるんだ」
 炯太が今回の訪問ではじめて芳を見た。力一杯寄せられた眉根と目元から察する炯太の機嫌は、過去最悪と言ってよさそうである。
「俺はピーマンが嫌いなんだ」
 炯太と芳には三歳の年齢差がある。芳が高校入学の年に、炯太は制服とお別れし、大学生になった。
「あんた……今年でもう二十三でしょ、好き嫌いなんてまだあるんだ?」
「世の中の人間がみんな成人とともに大人になると思うなよ」
 おいしいんだけどなあ、ピーマン。
「小さい頃から毎日毎日食わされてきたんだ、もう一生分のピーマンを食べてる! 自立して今度こそ永久にお別れできたと思ったのに、しつこすぎるんだこの青野菜めが」
 芳はまたひとつため息をついた。実家から何か送ってもらえるだけ、炯太は恵まれていると思うのだけれど。家を出てから、食糧どころか送金ですらしてもらった覚えが無い。それに、好き嫌いなんて、本当ならいちいち言っている場合ではないのだ、炯太は。
「まあ、とにかく、ご両親も炯太の体を心配してるんでしょ。ほら、ちゃんとおいしく料理してあげるから、そんな顔しないで」
「芳の料理は好きだ」
「一応、このスキルで生活立ててますんで」
「でもどんなにうまくても俺は半分しか食べられないんだろ、不公平だ」
「…………………。」
 知り合ってからもうすぐ一月になる。その間、食材を抱えてこの部屋に来たのは三回。料理に使った食材が二十種類。「嫌いだから」とはねつけられた食材が十八種類。
「……まあ、出来上がったら一口だけでも食べてみようよ」
 それでも食べさせることをあきらめないのは、炯太があんまりにも不健康そうだから。目を放したら、それこそ炯太の魂が炯太の体から逃げ出していってしまいそうだから。栄養士の資格を持ち、健康こそが人間の宝と信じている芳には、たとえただの知り合いの一人だとしても、むざむざ栄養失調で死なせてしまうことが、ひどい罪のように思われたのだ。
 この部屋に来て、食べられるものがあったのは初めてだった。灰色の六枚の板に囲まれた、まるで水の入換え口の無い水槽のような部屋の中で、確かに生命のあるもの――あったものが存在するのは、だから、ひどく、不自然だった。
 澱んでいるわけでなく、ただ何の生命も育まない温い水のあつまり。主であるはずの炯太さえ、時には生きていることを忘れていそうなこの空間で。
 ……陶器の魚、というのを思いついて、でもそれが炯太に似合うとは思えなくてひとりで苦笑した。
 できあがった料理はピーマンとパイナップルのスープ。案の定炯太は一口だけ口に入れてすぐ吐き出した。ひどく気分悪そうに丸めて向けた背中越しに投げられる、もうすでに何度もお世話になっている小さなポットに、ため息をつきながら残り物をつめていく。
 次のチャレンジには、ピーマンだけはやめておこう。

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