文
- 箱庭
2002年11月12日(火)
箱庭作りが趣味になったのは最近のことだ。 そもそもは心理学にかぶれた大学の友人に勧められ(半ば強制されて)作ったのが初めてだった。ものすごくエキサイティングだとか、幽玄の中に自分を見失うほど奥が深いとか、そんな魅力はまったく無いけど、ひたすら地味に面白かった。もともと、こつこつと時間をかけて何かを作るのは好きなたちだ。 集中を解いて、ふう、と一息つく。下宿の庭から見た日は、もう傾きかけている。芝生の上に土台と腰を落ち着けてから、四時間ほどは経っているだろう。立ち上がって思い切り伸びをしたら、かちこちになっていた体中の筋が嬉しそうに悲鳴をあげた。 工作用セメントのビルは割とよく出来たかな、少し重くて安定が悪いけれど、まあ動かさなければ大丈夫だろう。水を張る前に、少し補強しておこうか。そんなことをつらつら考えながら、下宿の大家さんが三時に置いていってくれたお茶とお菓子をいただいた。濡れ縁に座って石の上に両足を投げ出す。お茶は冷め切っていたけれど、疲れて熱をもった頭にはかえって嬉しい涼やかさだった。 ぼんやり眺めた遠くの山の縁が橙に染まりだした。本格的に日が落ちてくるまであと少しだろう。暗くなる前に完成させたいなあ、そう思って立ち上がり、濡れ縁から一歩前に出た瞬間、
僕は箱庭の中に落ちていた。
ふる、ふる、と頭を振ってみた。髪から雫が跳ね飛ばされて、胸から下の、途方もないかなたまでに広がる水面の上に落ちた。小さな王冠と波紋を形作る。夢じゃないのかもしれない。 ここは僕が作っていた箱庭の――廃墟の群れのど真ん中だ。 間違えようも無い。実際の作業に取り掛かる前に完成図を自分で描いた。あのビルは先週の休みに下宿の大家さんと一緒にセメントにまみれて作った。腰の後から背中の後を、ゆるく怖気さが駆け上った。水が冷たいせいではない。ここはどこだ。 頭上をたくさんの紙飛行機が舞っていた。どこから飛んできたかなど考えもつかない。廃墟に舞う姿が滑稽で空々しくて、けれども体に纏わりつく温んだ水と同じくらいぼくの狂気をそそった。 下宿から見えるはずの山は水平線のどこにも見当たらない。箱庭の世界はただただ空と水に空間を切り分けられている。水際の空が紅い、紅い、 ぼくは焦って手を空に伸ばした。紙飛行機が舞っていた。青と橙を切り刻む鋭利な輪郭が、視界のあちこちを飛び交っている。くるくる回って視界を割き、水面に突き刺さる。水に濡れ溶け落ちそうないくつか。落ちるな、落ちないでくれ、どうか。 逃げるように掠めてゆく飛行機のひとつにようやく手が届いて、ぼくは夢中で両手に掴みこんだ、
「と、まあそんな感じの内容だったかな」 「ちょっと。最初の方に出てきた心理学かぶれって、わたし?」 「実際、そうだろ。夢から他人の精神分析なんかして、楽しい?」 「楽しいわよ。それに、いいじゃない、夢を話したところで別に何か損するわけじゃないでしょ? 分析内容がヤバそうだったらちゃんと警告してあげるし」 「まあ、いいけどさ、……で、どうなの? 何かわかった?」 「んん、そうね、きっとその紙飛行機ってあなたの大切なものすべての象徴なんじゃない? 必死に掴もうとしてたのって、守りたかったからなんでしょ」 「そう、かもね。……なんかそれ聞いて安心したかも」 「何よ」 「実はその夢、まだ続いててさ。 その紙飛行機、広げて中を覗いたら、
君の名前が書いてあったんだ」
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