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早いものですねえ。1周年。ついこの間始めた様な感覚なのですが、というか、日記だけでも頻繁に更新するようになったのが、つい最近なので無理もないのかもしれませんけど。一応壁紙集などを用意したのですが、基本的には表紙のアレンジしたものです。ただレンの2枚目のはレボに出した本の没表紙で、完成直前のデータが消失してしまったので、急遽完成していたイラストと差し替えられてしまったものです。後オリジナルの壁紙というのは、知人のサークルの製作した音楽CDのジャケット用に描いたものです。よろしければ、見てやってくださいませ。
昨日も後半からサッカー見てました。「イタリアよお前もか・・」と言うハラハラする状況の中で、なかなかゴールを決めれない中、イタリアのファンの方達が「デルピエロをさっさと出せ、あほんだらー!!」と言うフラストレーションも最高潮になったであろう頃に、満を持してデルピエロが登場、そして残り時間もほとんどない状況でデルピエロのゴールで決勝トーナメント進出が決定!
カリスマがある人間というのは、こう言う大事な時にドラマティックに、そしてかっこよく結果を残せるものなんですねえ。ファンタジスタとは正に言いえて妙。そう言えば昨日の清原の9回2死からの代打同点ホーマーもかっこよかったなあ。どちらもほんとに物語のある展開でしたね。
やはりどんなスポーツも、物語がないと見ているほうは面白くないなあと思います。人間の生き様やポリシーや考え方や想い。そう言う人の生々しい感情が試合に投影しているのが見えた時に人は最も興奮し、感動する事が出来るのではないでしょうか。
得てしてこう言う状態にないスポーツは矢張り以前よりは廃れていってる気がします。一時期のオートバイのGP500や、数年前からのF1もそう言う状況でしょう。この二つがイマイチ以前ほど指示されていない共通の理由として、1つは突出したドライバーが1人しかいなかったのと、そのチャンピオンが性格的にも王者の風格を持っていなかった(あるいは持つのに時間がかかった)と言う事にあると思うのです。国の王が力や結果と共に、大衆の共感を得なければ支持されないように、スポーツの王者もまた、ファンたちの共感を得られなければ、歴史に名を連ねても、記憶に残る選手にはなれないと思います。
王者フランスのジダンがゴール前で痛めた足のせいでつんのめりになって草の上に 倒れ這いつくばる姿。あれを見て何も感じない人はいないでしょう。記憶にも刻まれた筈です。負けてもああいう姿は私達に何かビビッドに感じ取る物を与えてくれる。だからこそ、それらに熱烈なシンパシーが有るサポーターの方達は自分の好きなチームが勝てば狂気に触れたかのように喜び、負ければ心からの涙を流すのでしょう。(でも暴力は止めてください。ロシアとか凄い事になって死人まで出てるし。)自分はそれほどサッカーを熱心に見ていた方達ほどストイックなファンではないですが、そんな人間でも、試合を見ていれば熱くなりますし、声も上げます。 その中に熱を感じる事が出来るからでしょう。物事を楽しむと言う行為の方法は人それぞれでしょうけど、やはり自分は情念を感じないものに感動は出来ませんです。
おや、もうこんな時間。作業に戻りますかな。それでは又。
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