散書
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2007年11月02日(金) 模糊

具体性はないけどそこにあって、固まって顕現しようとするもの。


辞書には拠らない――ってまあ、なんのことかわかりませんね。まあ、そんなこんなで。
平たく言えば、イメージになりそうななにかが、今、俺の中で雲散と収束を繰り返しているわけです。無意識が行っている試行錯誤とでも表現するべきでしょうか。
こういう状態になると、書きたいものもまとまらないのに、ただがむしゃらに文字を綴って文章を築き上げ、小説にしたくなるという病理。刺激に対する反応。あるいは環境が押しつけようとする社会病理への防衛反応。そのどちらも、イコール、創作意欲の源泉。
うん。言葉を綴るのはいい。イメージが収束していく気がする。割と気のせいだけど。

言葉は伝わらなければ霧消するのみ。言葉が生まれるのは、伝える意味があるから。伝えられない言葉の消失は、言葉を生んだ本人の意味の消失であり、自らの言葉を感じたその人の自殺にも等しい。
言葉を己の内側に留め消失に任せることは、自らの意味を己から剥奪すること。すなわち、レーゾンデートルの自己否定。自身の意義の殺害。もっとも消極的な自殺。生まれた者へ存在の場を与えた世界への背理。すなわち、世界からの乖離。受動的なように見えて積極的な、世界への敵対行為。
‥‥極大解釈しすぎだろうか。とも思う。
けれど、地球上のすべての生物のうちで、言葉を文字として残すという特異性を持つ人類は、つまり、文字を形に残すことで世代を飛び越え種に言葉を伝えることで存在意義を獲得したのではないかと思えるわけで、その実験的にしか見えない種としての特性に反旗を翻すのであれば、それはすでに人間としてのカテゴリーから外れるのではないか、とかなんとかかんとか。

ごめん。自分でも論旨がどこに行ったかわからなくなってきた。
でも結論として、人は、もっと己の内に生まれた言葉を語るべきだと思った、と。自伝でも評論でも小説でも。

俺が小説を書いてる理由はそれでもあり、その理由は後付でもあって、つまり、小説は俺にとって目的達成のためのツールであるってことは以前にもこの日記で書いてて冗長スマソ。
駄目だ。


えーと。またサボり癖が発動して日記書いてませんでしたが、前言に反して、サボってて日記を書かなかったわけでもなかったりします。
このところ、猫に噛まれた手首が痛い、というのは数日続けて日記に書いた通りでして、ペン持って動かすだけでも痛いくらいだからなにやっても集中できそうにないし、ということで、積んであった小説を消化しようと、『レジンキャスト・ミルク』を読み始めたわけです。
これが、面白いかと問われれば、即座に首肯することを躊躇ってしまうのは想像に難くないといった物語なのですが、ただ俺にとって、「はあ、なるほど」と、大袈裟に言えば目から鱗くらいの、設定に関する部分で真新しさによる驚嘆を与えてくれるものでして。
今日、病院に再診に行った帰り、本屋で2巻3巻を買い、勢いのままに2巻を読んでしまったりした次第。
これが読み出すと止まらないんですよね。小説はひと息に読みきってしまいたい人だからまとまった時間が取れずに積んでしまう傾向があるわけで、手首痛くて作業しても集中できないなら積んでる本を消化しようとした考えは、露骨に失敗に終わったようなものですが。
うん。まあ。なんというか。
これで二冊読みきって、この作者さんに対して(本に対してではない)抱いた感想としては、設定を作るのはうまいけど、物語を作るのはそれほど、といった感じ。ただ、その設定のつくりに関しては、大いに習って益あるものと判断できるかな、と。
‥‥なんだかこの辺りの文章、奇形の不理解による奇矯なアレンジを施した硝子の一人称口調のような文章なっているのが凄く自分で気になります。なんだこの奇形で奇矯で微妙な文章。
まあ取り敢えず、お約束はやっておくべきでしょうか。
ということで、以下、若干オタっぽく。ぽくもなにも、一応はオタですけど。
ということで。
今のところ、理緒が一番かわいいと思います。自分のことを自分の名前で呼ぶ女の子というのは、俺にとっては精神的発達が不十分、もしくは頭の回路がいかれた、どっちだとしても関わり合いになりたくない相手、でしかなかったのですが、こうやってちゃんと設定で理由を持たせて整合性が取れていると、しっかりとその人格の一部として許容できるのだと発見、ちょっとした驚きがあります。
あれですね。エロゲで濡れ場がストーリー上必要なのかそれ、ここでそのシーン挿入する必要性がどこかにあるのかこれ、と思ってしまうけど、例えばWind -a breth of heart-の彩タンシナリオのように、それをすることに一応の筋道をつけてもらえればすんなり嚥下できるのと似ていると思います。
とまれ。
1巻で理緒が敵対するだけ無駄なくらいの強キャラ、のように紹介する文があったのが、2巻でその根拠となるシーンに出くわして、なるほどこいつはやべぇ。と思うのだけど、やっぱりなんか言葉の端々とかがかわいくて、しかもこいつはこいつなりに色々考えたり覚悟してたりとかその辺がスゲエかわいい。あと猫連れてるのもポイント高いね。実は犬派だったりしたら、それはそれで笑うけど。あと、蜜にいきなりキスする無防備っつーか突拍子もないっつーか、時々よくわからんところとか。
でも、世間的には萌えキャラは硝子なんだろうな、とも思う。
あと、『目覚まし時計』も割りと好きかも。なんだあの傍若無人なまでの能力。小町より危険なんじゃねーの。とか。
佐伯ネアは好きになれる要素がないし、舞鶴蜜は好きになれそうな要素が今のところ見当たらない、芹菜はなんか当たり障りなさ過ぎる、他は考慮に入れるだけの材料が今のところは見当たらない、と、こんな感じ。
さて。世間とのズレは周回遅れどころじゃないけど、これから物語がどうなるのか楽しみです。

『レジンキャスト・ミルク』読み切ったら、今度は『ムシウタ』に手を出してみるつもりです。アニメ化されたみたいだけど、どうなんだろう。
『レンタル・マギカ』も気になるけど、取り敢えず表紙だけ見とけばいいかな、的な。


マウスの動きが気に入らなかったので、新しくマウスを買いました。
トラックボールと光学式と、一個ずつ。
マウスはやっぱりトラックボールですよ! という俺は割りと色々なところでアナログ信奉者です。時計とか、絵とか。トラックボールはアナログで光学式はデジタルかというと、これは自信ありませんが。
ともあれ、光学式は動作チェックだけしてすぐに外しました。トラックボールが動かなくなったとき、次のを買うまでの場繋ぎに確保、といったところ。
それにしても、トラックボールのマウスはほとんど開発が止まってるようですね。並んでいるのは、光学式か、レーザータイプかばっかり。ディスプレイで気に入ったマウスがあっても、全部光学式かレーザータイプ。どうせだったら同じ形のものをトラックボール、光学式、レーザーで三種類作るとかして欲しいものです。できないわけじゃないんだろうし。できないとは言わせない。やれ。
ここで言っても仕方ないですけどね。
とまれ、新しいマウスの感度は上々、これでトリックスターや初音ミクも、ストレスなく動かせそうです。

でも、光学式マウスの方についていたアプリケーションのせいで、ノートにもとからついていたポインティングデバイス付属の上下スクロールキーが動作しなくなったのが面倒。まあ、滅多に使わないんですけど。


それにしても、手首はいつになったら快復するかね。


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