「暗幕」日記
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2002年02月22日(金) |
断定と意見と個人攻撃と |
決め付けは良くないかどうか 「決まっている」だの「はずがない」だの、断定が多いですね。私がこうした物言いを避けるのは、たやすく反証されうるからです。「そうでない」例を一つ挙げることができれば論破されたことになるからです。 必要のない断定は、かえって主張を弱めることになると思いますが如何でしょう。 私が異議を唱えていることは気づいても、既に論破されていることにはお気づきでない?
「思う」「こう考える」に対しては、反論ができないか、そう思う「個人」への批判になるというのも頷けません。その人がそのような持論に至った思考の筋道は論理的に説明がつくはずで、その筋道のどこかに、自分でも納得できるポイントを見つけられないでしょうか。(この筋道とは、個人的な経験または事情とイコールではありません。)その人と自分との違いはその先なので、相互理解に続く議論をそこから始めるということにならないでしょうか。
断定された内容が実は個人的意見であり他人である私には納得できないものであった場合、「その事実は私に関しては理にかなっていない」で話はおしまいになります。個人的意見として提出されていれば、いろいろな考え方もあるね、でもどうしてそんな風に考えるようになったのかなと、理解してみようかなと思います(私の場合)。今気づいたのですが、もしかして龍成さんと私が想定している状況は、断定した場合と意見として書いた場合がそっくり逆になっているのかもしれません。
またもしかして「そのように考えるあなたはおかしい」というような難癖をつけられたことがおありだからかもしれません、これほどまでに「思う」を忌避されるのは(私もときどき言われますが)。どのように書こうと言いがかりをつけたい人はつけるのですから書きたいように書けばよろしいと思います。
ところで不吉な予言を既に…。もう十分めんどくさいことになっていますし。
************** 創作:ある女主人の話 玉砂利に箒の目がつけられた庭。玄関には季節の花。リビングにはやわらかく明るい色調の絵画。居心地よく整えられたその家の女主人が、 体重の1/4を失う大病から最近回復したばかりだと知ったのはつい昨日のことだった。
さりげない日常にはそれを取り戻そうとする死に物狂いの努力が隠れていたのだ。 ************* 高岡さん自分の意見を事実と区別するためには語尾を「思う」とする以外にもやり方はいろいろありますが。「主観的事実」はそれが「主観」であることを明示して公開して欲しい。乏しい経験や狭い見識で垂れ流された持論が「事実」として流通することで、不愉快になったり迷惑する人もいるのです。(つい先日のトピックを持ち出すのさえ私は不愉快なので例示しませんが) web日記に書かれたstatementが全て主観的事実とは限らない。ですからその区別は必要だと私は思います。
龍成さんふう。見事にかみ合ってないね。
********** 【夢の内容】 1)新築された宿舎の個室についているバスルーム。今回の部屋は白いが別の部屋はパパラチア・サファイヤのような透明感のあるオレンジ色で美しい。
2)学校の中庭を横切ろうとしたら時代劇のTV生中継中だった。あわててはうようにしてフレームアウトする位置まで移動したが。脇役の若い着物姿の女性が「"みっちゃん"が話しかけるのはどなたでしたでしょう?」と聞いている。
【思うこと】2)番組製作会社の方でも事前に対策すべきだったのではなかろうか。入場できないようロープをはるとか、毎日登校している生徒には周知させるとか。
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