女の世紀を旅する
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2008年11月02日(日) |
〈ギリシアの芸術について〉「芸術の理論と歴史」(青山昌文) |
〈ギリシアの芸術について〉「芸術の理論と歴史」(青山昌文)
美学は古今東西にわたって,大変興味の尽ない分野であるが,西洋美術の源泉となった古代ギリシア美術の精神を哲学的視点から考察しておもしろいものを発見した。以下に掲載しておきたい。この美学史の教授は放送大学の講座を担当していらっしゃるとのこと。是非時間がゆるすならばテレビの放映を拝見してみたい。プラトンやアリストテレスが芸術をどう考えていたのか,興味がわく。
〔青山昌文(放送大学教授)〕の講義要綱からの抜粋
●青山 昌文(あおやま まさふみ、1952年 - )
日本の美学研究者。放送大学教養学部教授。専門は、美学、芸術学、自然哲学。 青森県生まれ。東京大学教養学部、同大学文学部卒業。同大学大学院人文科学研究科美学芸術学博士課程修了、博士 (学術)。博士論文は「ディドロ美学・美術論研究」(平成17年)。放送大学講師、同大学助教授を経て現職。主な研究領域は、ディドロ美学、現代芸術理論。日本大学大学院芸術学研究科講師。
〈 主な著作・共著〉 西洋美学のエッセンス(ぺりかん社 1987年) 美と芸術の理論(放送大学教育振興会 1992年) 比較思想・東西の自然観(放送大学教育振興会 1995年) 芸術の古典と現代(放送大学教育振興会 1997年) 芸術の理論と歴史(放送大学教育振興会 2002年) 芸術・文化・社会(放送大学教育振興会 2003年) 芸術の理論と歴史(改訂版)(放送大学教育振興会 2006年) 芸術・文化・社会(放送大学教育振興会 2006年)
全体のねらい 芸術は、人類の文明の深い意味での美的な結晶の一つですが、それは、一見すると天才的な芸術家が一人で生み出したように見えるものであっても、実は長大な文化的伝統と重層的な社会的諸関係のただなかで受胎し産み落とされたものにほかなりません。この講義では、芸術のこのような文化的・社会的な生成の構造に焦点を当てて、各時代の芸術理論を振り返り、各時代の芸術作品がいかにその時代の文化と社会に深く根ざしていたかを歴史的に考察するものです。 -------------------------------------------------------------------------------- 1 ペリクレスとギリシア美術 1. 全体への序論 2. ギリシア古典美術を代表するものとしてのアテネのパルテノン神殿 3. 芸術総監督フェイディアスの美的理念と民主派の政治家ペリクレスの政治思想 4. 建築芸術の政治的表象性青山昌文(放送大学助教授)青山昌文(放送大学助教授) -------------------------------------------------------------------------------- 2 プラトンとギリシア文芸 1. ヨーロッパ美学の源流としてのプラトン美学 2. ギリシア文芸とりわけホメロスの叙事詩の政治的・社会的役割 3. 文学芸術の政治的表象性とプラトン美学 -------------------------------------------------------------------------------- 3 アリストテレスとギリシア演劇 1. ヨーロッパ芸術理論の源流としてのアリストテレス芸術学 2. ギリシア演劇とりわけ悲劇の構造と上演の政治的・社会的機能 3. 演劇芸術の政治的表象性とアリストテレス芸術学 -------------------------------------------------------------------------------- 4 修道院の神学者とロマネスク美術−その1− 1. クレルヴォーのベルナールの美学 2. ロマネスク建築芸術のプラトン的超越性 3. 建築芸術の宗教性と社会性 -------------------------------------------------------------------------------- 5 修道院の神学者とロマネスク美術−その2− 1. 民衆的世界観と異形なるもの 2. ロマネスク絵画と彫刻の光と影 3. .建築芸術の宗教性と社会性 -------------------------------------------------------------------------------- 6 サン・ドニのシュジェールとゴシック美術 1. サン・ドニのシュジェールの美学と哲学 2. ゴシック建築芸術のアリストテレス的内在性 3. 建築芸術の宗教性と社会性 -------------------------------------------------------------------------------- 7 ルネサンスの哲学とイタリア・ルネサンス美術 1. ルネサンスの新プラトン主義哲学 2. ボッティチェリとミケランジェロ 3. 絵画・彫刻芸術の哲学性と社会性 -------------------------------------------------------------------------------- 8 ルネサンスの政治とイタリア・ルネサンス美術 1. フィレンツェの共和制とメディチ家 2. ドナテッロとミケランジェロ 3. 絵画・彫刻芸術の政治性と社会性 -------------------------------------------------------------------------------- 9 宗教改革と北方ルネサンス美術 1. ルターの宗教思想と芸術思想 2. デューラーとクラーナハ 3. 絵画芸術の宗教性と社会性 -------------------------------------------------------------------------------- 10 対抗宗教改革とバロック美術 1. トレント宗教会議の宗教思想と芸術思想 2. ベルニーニ 3. 絵画・彫刻芸術の宗教性と社会性 -------------------------------------------------------------------------------- 11 ディドロとロココ美術 1. ディドロの美学と芸術理論 2. グルーズとシャルダン 3. 絵画芸術の世俗性と社会性 -------------------------------------------------------------------------------- 12 革命の時代と19 世紀美術 1. 産業革命と芸術の変貌 2. クールベとマネ 3. 絵画芸術の政治性と社会性 -------------------------------------------------------------------------------- 13 戦争の世紀と20 世紀美術 1. 芸術の理論化と時代批判 2. ピカソとシャガール 3. 現代芸術の理論性と批判性 -------------------------------------------------------------------------------- 14 死の影と現代芸術 1. 現代社会批判としての現代芸術 2. ウォーホル 3. 現代芸術の現代性 -------------------------------------------------------------------------------- 15 環境芸術と現代社会 1. 環境破壊問題と芸術 2. スミッソン・タレル・ロング 3. クリスト
●01 ペリクレスとギリシア美術 原始美術からエジプト美術などを経てミュケナイ美術までをごく簡単に見た後、ギリシア美術のパルテノン神殿を採り上げて、このヨーロッパ古典古代を代表する大芸術作品が、民主主義の政治家ペリクレスの政治的理想を芸術において表現するものでもあったということを明らかにします。
02 プラトンとギリシア文芸 プラトンの中期を代表する大著『国家』のいわゆる詩人追放論を採り上げて、なぜプラトンがあれほどまでに芸術を攻撃したのかを明らかにし、その後プラトンの詩的霊感論に着目して、プラトンの芸術ミーメーシス理論の真の意義を明らかにします。
03 アリストテレスとギリシア演劇 アリストテレスの『詩学』を採り上げて、芸術一般理論としてのミーメーシス理論や、世界の内在的な本質を典型的に物化する哲学的ミーメーシス理論を見てみた後、アリストテレスの有名な悲劇の定義を採り上げて、カタルシスなどの概念を考察し、さらにソポクレスの『オイディプス王』についても考えてみます。
04 修道院の神学者とロマネスク美術----その1 ラウル・グラベールの美しい文章を見た後、クレヴォーのベルナールの『ギヨーム修道院長への弁明』を読んで彼のロマネスク美術に関する言説を考察し、さらにモワサックのサン・ピエール教会南側玄関口のモニュメンタルな大彫刻の復活の意味と理由について考察します。
05 修道院の神学者とロマネスク美術----その2 クレヴォーのベルナールの有名な文章を再び読んだ後、エミール・マールの見解について考察、そののち、ロマネスク美術に登場する怪物たちや周縁的な人物たちについて、その異教的・土着的・民衆的世界観を明らかにして、さらにロマネスク美術の色彩の意味についても考えてみます
●01 ペリクレスとギリシア美術
芸術の長く豊かな歴史は、決して単なる過ぎ去った過去の遺物の集積の歴史ではなく、常に私たち自身にとって同時代的・現代的な意味を持っている作品の豊かな集積の歴史である。古典は、この意味において、永遠の生命を持っているといえる。
古典が持っていると考えられる「時代を超越するような永遠不変の要素」とは、まさに(その)時代のただ中から生み出されている。芸術作品は、時代に深く内在していることによって、時代を超越している。
芸術に関わる理論もまた時代に深く内在していることによって、時代を超越している。「芸術に関わる理論」はその芸術を考察の対象とする理論だけではなく、逆にその芸術がめざすものに関わる理論の場合においても、芸術と共に同じ時代に関わっている。
時代への着目とはその時代の社会と文化への着目であり、芸術作品をその時代と文化のただ中において産み落とされたものとして見ることである。この講義(全体)は芸術のこのような文化的・社会的な生成構造を、歴史的に実証的に且つ理論的に見てゆこうとするものである。
考察の対象としては、ヨーロッパ、北アメリカの視覚を主な媒介者とする芸術の内で古代からの歴史を持っているもの--絵画・彫刻などの美術や建築--を主に採り上げる。
一万年前から四万年前、アルタミラやラスコーの洞窟壁画など、人類史上初の、「芸術」と分類できる制作物が地球上に生み出された。「制作」動機については諸説あるが、おおかたの見るところではそれらの壁画の「描かれた」洞窟は、「宗教的あるいは社会的な意義のある場所」であったか、「基地になる野営地として、もしくは人間集団の集会の場所として、人々が集中的に何度も使用したところ」であったと考えられており、「その場所で人間集団はきずなを確立したり改めて確認したりして、関係のネットワークを強化した」ことと考えられている。人類史上初の「芸術」(と分類できるもの)がそのような場所で制作されたということは、「芸術はその起源から社会に組み込まれている」ということであり、壁画を「描いた」人物は(彼個人の内面の思いを表現したのではなく)、自分が属する社会の宗教的あるいは社会的な意味の体系のただ中にいて、その体系のある種の象徴的な結節点を視覚的に表象したと考えることが出来る。
シュメール初期王朝におけるメソポタミア美術の代表作『ウルのスタンダード』(紀元前2600年頃)で描かれているのは、モザイクによって見事に象徴的に表現された戦争と平和の場面であって、ここでも芸術は社会の重大事を象徴的に表象するものであったことが示されている。新バビロニア帝国におけるイシュタル門は、芸術は政治権力にとってきわめて有力な、力の誇示の装置でもあったことも示している。
エジプト美術の特徴は、その3000年の歴史の中で、ただ一つの様式のみが、ほとんど例外なしに厳格に守られ続けたということである。エジプト美術においては、存在は、その個々の偶然的で付帯的な特質ではなく、必然的で普遍的な本質の直接的で固定な表現において表象された。エジプト美術は、必然的にして普遍的なる神のために、そのような神に向けて制作された美術であり、また人間の(現世の人生のためにではなく)来世の永生のために制作された美術であったから、(偶然的で付帯的な特質のうちに必然的で普遍的な本質を見るような方向--個のうちに普遍を見るような思想の在り方--に向かわず)無媒介的に直接的に必然的で普遍的な本質の表現に向かった。 そして、この宗教的来世観がほぼ3000年間変わることがなかったから、その直接的で固定的な表象様式が、3000年間変わることがなかった。 死語の来世における永生を最高動に重視する宗教観・来世観・世界観を持っていたからこそ、時間的にも空間的にも次元的にもそれらを遙かに超越する永遠の相の下における必然的にして普遍的な本質を芸術作品のうちに表現しようとした。 この宗教観・来世観・世界観は第一王朝において既に王権の神格化を生み出し、神権政治的な政治体制は王家の富の集中をもたらし、エジプト美術の物量的な豪華さを生み出すと共に、保守的で固定的な精神風土をも醸し出して、エジプト美術の定型化とその枠内での技術的な洗練が生み出される基盤を提供してきた。
エジプト美術が長期に亘って持続していた時代に、その北方の地中海地域に生起したのが、クレタ美術、ミュケナイ美術、ギリシア美術である。 クレタ文明を代表するのが迷宮クノッソス宮殿で、これは複雑で非規則的な自由な建築であった。この宮殿の壁画も、またほぼ同時代のテラ島の壁画も、自由で生き生きと躍動する生命が描かれていた。これはクレタ文明が城壁を持たない宮殿を中心とした開放的で自由な文明であったことの芸術における表れである。 ミュケナイ文明は戦闘的で英雄崇拝的な文明であった。『黄金のマスク』の威厳に満ちた王者の風格や、ミュケナイ城塞の正門である『獅子門』の軍事的攻撃的性格にそのことが良く表れている。 技術的には連続性の見られるクレタ美術とミュケナイ美術だが、両者が全く異なる性格を持つに至ったのは、それぞれが平和で開放的な文明と戦闘的で閉鎖的な文明という正反対の文明であったからである。
本講義(および本著)の目的は、芸術の生成の現場を数例採り上げて、その各々のスポットにおける芸術の生き生きとした姿を素描し、いかにそれらが各々の社会・文化・文明のもっとも根底にある本質を見事に表しているか、を理論的実証的に素描することだけである。
古代ギリシア文明のパルテノン神殿のフリーズ浮き彫り彫刻は、神に捧げられた神殿であるのにもかかわらず、神話や伝説の彫刻ではなく、神にペプロスを捧げる人々の、当時の現実の生活の一こまの彫刻であった。これは旧体制の部族制から新体制の民主制への移行とそれによる民主主義の確立を象徴する芸術作品であり、その「新旧アテネの歴史の統合」を宗教的図像表現においても明らかに示す芸術作品であった。
芸術がその本質を社会性・政治性に持っているということは、例外的なことではなく、むしろ一般的に芸術は少なくとも2000年以上の長きに亘って、自己表現ではなく、世界表現であったといえる。パルテノンは、フェイデアスという芸術家の個人的な主観内面の表現の発露ではなく、ペリクレスという政治家が押し進めた民主制への移行とその確立、というアテナイの歴史の現実に潜んでいる本質--世界の本質--の表現であった。
02 プラトンとギリシア文芸
プラトン哲学・美学において芸術はいかなる存在であったかは、まず『国家』(もしくは『国政』)から知ることが出来る。ここでプラトンはミーメーシスする人々(すなわち、芸術家)を真実の世界から遠く隔たった低劣なものを作品として想像する人々であると非難し、理想国家への受け入れを拒否している。プラトンの主張の最大の力点は、詩人や画家(広くいって芸術家)はイデアという真の世界を直接にミーメーシスすることは出来ない、ということにある。 プラトンが激しく芸術を批判した理由は、当時のギリシア人一般のホメロスに対する高い評価に由来している。古代ギリシア人にとって、ホメロスの作品こそが、思想的にも実践的にも基本的な指針となるの重要なものであり、この点において古代ギリシャでは芸術の地位は極めて高かったと言える。 詩の古代ギリシア的な公共的な在り方が、正しい判断力を持っていない人々に対して、有害な作用を与えかねないということを危惧し、従来一般に大いに尊重されている芸術よりも、芯を見据えた確固とした理性に基づく哲学こそが、現実の社会をよりよいものにするための指針とすべきだと、プラトンの詩人追放論は主張している。
しかし、プラトンは決して芸術を理解しないわけでは無い。『イオン』におけるプラトンの詩的霊感論は、ウェルデニウスによると、次のように解釈できる。 まず、プラトンにおいて「模倣」すなわちミーメーシスは、事物の単なるそのままの「模写」(コピー)ではない。 現実の世界の存在は、イデア界とは異なる世界の存在であって、イデアがそのような存在に「直接に現れること」はありえないが、しかし、輝きを薄めて影のようになりつつも、現実の世界の存在の中に、(影として)分有されている。 芸術は、現実の世界の存在の中にも影として「かすかに」分有されているイデア的なるものを、作品の内に「喚起」使用とする。 優れた芸術家とは、この現実の世界に分有されている「より高い」イデア的なものに着目し、それを顕在化させることに成功した芸術家である。 ウェルデニウスの解釈は、芸術はイデアの間接のミーメーシスという『国家』において展開された存在論的芸術規定を踏まえた上で、プラトンが単純な芸術否定論者ではなく、芸術の本質を掴んだ芸術理解者であると、論証している。プラトンは、芸術模倣論者であるにもかかわらずというのではなく、まさに芸術模倣論者であったがゆえに、芸術の良き理解者であった。 また、このプラトンのミーメーシス芸術理論は、その論理性ゆえに、「芸術の女神」なしでも、成立する可能性を十分に持っている。
※ミーメーシスに関して:ミーメーシス自体の一般的な訳語は、事物の(正確な)「模写」ではなく、「模倣」である(が、むしろ「再現」という語が、日本語における否定的な意味を含まず適当に感じる)。プラトン以来の美学芸術理論における「ミーメーシス」に、よりふさわしい概念規定は「本質的なるものの強化的な最提示・再現・再生」である(または「存在再強化」などの言葉も考えることが出来る)。 反近代的・反主観主義的な美学の考えによるなら、芸術作品の創造とは、自然ないし世界の本質的なるものをミーメーシス--作品として再現、最提示--することに他ならない。
ミーメーシスする対象に関していえば、優れた芸術は、平板な存在ではなく、何らかの点で特徴のある存在をミーメーシスし、その点において典型的なものを作品化する。プラトンにおいてと同様に、アリストテレスにおいても、芸術は単なる日常的なものにとどまらず、日常を凌駕する。
03 アリストテレスとギリシア演劇
師プラトンが、イデア論を基に美学的に芸術を考察したのとは対照的に、アリストテレスは、存在に深く内在しているものに目を向けることのよって、芸術哲学的に芸術を考察した。
「芸術」という概念が、絵画・彫刻・音楽・文学・演劇などを総括するという概念であるなら、この概念は、まさにアリストテレスによって完全に打ち立てられたと言える。 近代的な「表現としての芸術」という枠組みに、当然、古代ギリシア時代はとらわれてはおらず、ここでは、総括概念としての「芸術」に相当する概念は厳然として存在していたのであり、それが「ミーメーシスとしての芸術」である。
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