女の世紀を旅する
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2006年12月28日(木) |
女優 岸田今日子が逝去 |
岸田今日子さんが呼吸不全のため逝去
「人間存在の哀愁」を漂わす岸田今日子(76歳)がなくなった。
映画で「存在感」を体現できる女優というのはそういるものではない。彼女はそうした希有な存在感をもっており,人の心に深い印象を与える。飄々とした演技の中に,妖しげな実在感をともなっていて,いつもこの女優には懐かしさを覚える。私の好きな女優の一人であった。
かつてドイツの実存主義哲学者ハイデッガーは人間の実存を「死ぬことへの自覚」としたが,岸田今日子の悲哀にみちた眼差しには,亡くなった母など肉親への喪失感が深く漂っていた。現実を超えた彼岸への憧憬の念というものが感じられるのである。こうした実存的な女優は今後の日本には二度と現れないだろう。世の中が明るくなりすぎ,軽佻浮薄な時代となったからである。
● 映画「砂の女」やアニメ「ムーミン」の声で知られる個性派女優の岸田今日子さんが、脳腫瘍(しゅよう)による呼吸不全のため17日午後3時33分、都内の病院で亡くなったことが20日、分かった。76歳。葬儀は近親者のみで行われ、年明けにお別れの会を開く。今年1月下旬に脳腫瘍と分かり入院していた。11月16日には前夫の俳優仲谷昇さんが亡くなっている。喪主は仲谷さんとの間に生まれた長女西條(さいじょう)まゆさん。
岸田さんは昨年暮れまで精力的に仕事をこなした。11月に舞台「オリュウノオバ物語」に主演し、12月にはドラマ「あいのうた」に出演し、コンサートのステージにも立った。今年1月下旬に体調を崩して頭痛などを訴えたため、病院で精密検査を受けたところ脳腫瘍と分かった。すでに手術ができない状態で、投薬治療などが行われた。8月に一時危篤状態になったが、持ち直して小康状態が続いた。亡くなる前日も見舞い客と言葉を交わしたが、17日に容体が急変。長女まゆさんら家族にみとられて息を引き取った。
近親者で葬儀が行われ、親友の吉行和子(71)富士真奈美(68)も出席した。吉行は所属事務所を通して「『さみしい』の一言です」とコメントし、富士は気持ちが落ち着いたらコメントしたいとしている。
劇作家で文学座創立者の1人、岸田国士さんの二女として生まれた。50年に文学座で初舞台を踏み、64年の主演映画「砂の女」はカンヌ映画祭審査員特別賞を受けた。69年からアニメ「ムーミン」の主人公の声を担当し、ドラマ「大奥」のナレーションも務めるなど、独特の声質と語り口でも人気を集めた。映画「八つ墓村」やドラマ「傷だらけの天使」で独自の存在感を示す一方、バラエティー番組にも出演。舞台でも「欲望という名の電車」やつかこうへい作「今日子」に主演するなど、ミステリアスな雰囲気の喜劇からシリアスな役まで幅広く演じた。エッセイストとしても活躍し、98年には「妄想の森」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。
54年に仲谷さんと結婚して長女をもうけたが、78年に離婚。その後も仲谷さんとは同じ「演劇集団円」に属して良好な関係が続き、晩年は長女一家と一緒に暮らした。仲谷さんは11月16日に死去し、1カ月後に後を追うように岸田さんも亡くなった。岸田さんは仲谷さんの死を知っていたが、病床のため葬儀などには出席できなかった。
●関係者悲しみの声 ◆萩原健一(56) 岸田さんが出演していたドラマ「傷だらけの天使」映画化の企画があり、主演の萩原は今秋、岸田さんに出演依頼をしたが断られたという。萩原は「出られないということで、急きょ脚本を書き直しました。具合が悪いと言っていたので心配していました。最後にお仕事したのは8年前のドラマ『冠婚葬祭部長』(TBS系)。僕に何かあると、いつも弁護してくれて『ただ怒っているんじゃないわよ。理屈があるんですから』と言ってくれました。しのぶ会にはぜひ出席したい」とコメントした。
◆脚本家市川森一氏 「傷だらけの天使」の脚本を書きましたが、怪しい、退廃的ムードを漂わせた探偵事務所のボス役で、得難い存在感でした。今年の正月にラジオ番組に一緒に出た際、「いまだに当時の役名で呼び掛けられるんですよ」と笑っていました。朗読劇を一緒にやる約束でしたが、それがお別れになってしまい、心残りです。
◆演劇集団円の俳優橋爪功 仲谷昇さんに続いて、今日ちゃん。しかもこの短期間に。本当にがっかりしています。今はもう、それだけで何も。ちょっと途方に暮れています。今まで頑張ってきて、ご苦労さまでした。とにかくゆっくり休んでください。
◆俳優渡辺謙(47) 何度仕事をご一緒したか数えきれません。僕の演劇における母を失ったようです。知的でいて、そしてかわいらしい母でした。
◆岸田今日子(きしだ・きょうこ) 1930年(昭和5年)4月29日、東京生まれ。姉は詩人の岸田衿子さん。いとこに俳優の故岸田森さん。50年に「キテイ颱風(たいふう)」で初舞台。63年に文学座を脱退し、劇団雲を経て、75年に演劇集団円の創立に参加。94年に紫綬褒章を受章、99年に紀伊国屋演劇賞個人賞。
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