女の世紀を旅する
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2005年08月18日(木) |
森本哲郎 「自分への旅 」 |
森本哲郎 〈 自分への旅 〉
私は若い時分,うぬぼれが強く,自分の気質・性格が鋭角的で,その感受性の鋭さで,ずいぶん辟易(へきえき)したものである。特に困惑したのは,その怒りっぽさと癇癪(かんしゃく)もちの荒らぶれる心であり,そのため対人関係は大変苦手としたのであった。親和力の欠如である。
言葉づかいが乱暴の上,性格が粗削りで,優雅な言動や物腰の人と接することに苦痛さえ覚えたものである。そういうことから,自分では自分を野卑で,気性の激しい野生人と思っているし,青年特有の哀愁や感傷を引きずって今日に至っている。
ある時は陽気で朗らかな愛想のよい自分が,またある時はとげとげしい,陰気くさい自分がいる。またある時は気前のいい寛大な自分が,またある時にはケチの固まりのようなストイックな自分がいる。
人間に対して温かい自分がいるかと思うと,人間嫌いの自分がいる。日々,変化する自分の心模様を観察するため,若い時分から自分の本質を探るべく努めてきたのだが,いまだに,自分の本性がわかっているつもりで,正直よくわからない。自分にとって,一番わかっているつもりの自分が,いまだに謎だらけなのである。でも,それが人間なのかもしれない。
この世の中で,一番不思議なのは「自分」ではないだろうか。もっとも身近にありながら,もっとも遠いところにいる自分を探して,人は人生という旅を続けるのかもしれない。
したがって,そういう「自分探し」に哲学的省察をめぐらしている作家の森本哲郎氏の著作の内容に共鳴し,親近感を覚えるのである。彼の著作の数々には,一貫して「人間存在の哀愁」が光っている。
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以下は,森本哲郎の『そして,自分への旅』(角川文庫)という著作の冒頭一節であり,大変興味深いことに言及しているので記載しておきたい。
この世の中で,いちばん不思議に思えるのは「自分」ではないでしょうか。なぜなら,自分にとって自分が何よりも理解しがたいからである。私はいつのまにか六十年以上の歳月を歩んできてしまいましたが,それでもまだ「自分」の正体がつかめません。もしかすると,私はついに「自分」をつかめないまま生涯を終えるのではないかと,そんな気さえします。
私は逆説をもてあそぼうというのではありません。自分にとって自分ははっきりわかっている,とだれでもそう思っています。ところが,あらためて自分とは何なのだろうと考えはじめると,手にとるようにわかっているはずの自分が,とたんにするりと自分の中から抜け出てしまう。そこで,あわててつかまえようとすると,「自分」はさらに自分から離れてゆく。こうして,自分はなかなかつかまえられないのです。自分にとって最も身近な「自分」が,自分から最も遠い存在であるとは! これこそが,じつは人間そのものの逆説なのです。
考えてみますと,「自分」とは影法師のようなものです。あるときは自分のうしろに「自分」が従っています。あるときは自分の前に「自分」が歩いている。そのように,影法師はいつも自分に寄り添いながら,しかし,けっして自分と一体になることはありません。自分で自分をつかまえようとすることは,自分の影法師を踏もうとするようなものです。踏もうとする影法師はさっと逃げてしまい,いくらすきをうかがって抜き打ちに踏もうとしても,絶対に自分の影は踏むことができません。
人間はすぐれた知能によって,思いのままに世界をつくってきました。自然を征服し,自然を利用し,そしてついに宇宙にまで手を伸ばしはじめました。
にもかかわらず,人間が今後どれほど努力を重ねても,けっしてなし得ないことがあります。自分で自分を見るということです。こればっかりは,どんな顕微鏡をつくりだしても,どのような望遠鏡を考えだしても,絶対に不可能です。なぜなら,目は自分を見るようにつくられていないからです。
カミュは,『シーシュポスの神話』の中で,こういっています。 「いつまでも,私は私自身に対して異邦人なのだ」と。
それはどういうことなのでしょう。ひとたび「自分」というものを考え始めると,自分にとって「自分 」が,まるで異邦人のように思えてくるということです。どうして? 自分で自分を考えるとき,考えられた自分はすでに考えている自分とは別人になってしまうからです。いま,こうして考えている私は,考えられた「私」とは明らかにちがっています。たとえば,私は眠っている自分を考えることができます。しかし,そのようにして考えられた「眠っている自分」は,じっさいに眠っているときの自分とは,まったく別の自分ではありませんか。
だから,「自分」とは,自分にとって「異邦人」なのです。カミュは「自分」を「異邦人」として追い求めた作家でした。自分という「城」の中には,つねに「異邦人」が住んでいるのです。
そう考えると,自分というものは,かならずしも一人だとはいえないことになります。そう,自分とは何人もいるのです。何人も,何人も。
私自身,自分を考えて,つくづくそう思います。私はいま,六十年にわたる自分のこれまでの人生を振り返って,少年時代の自分,青年期の自分が,まるで別人のように思えてなりません。いや,そんなむかしの自分どころか,ついきのうの自分でさえもが,まるで異邦人のように思われるのです。
過去と同時に,未来の自分を思い描くとき,やがて死を迎えるであろう自分が,同じようにいまの自分とは別人のような気がします。それだから,人間は確実にやってくる死の恐怖に耐えられるのでしょう。もし,そうでなかったら,人間は過去の重みに押しつぶされ,未来の恐怖に打ちひしがれて,一日たりと生きてゆけないのではないでしょうか。自分が何人もいるからこそ,人間は何人もの「自分」を身代わりにして,自分に耐えることができるのだ,といっていいと思います。
時間を停止するなどということがありえない以上,自分は刻々と変化しつづけます。時間の中に生きる人間は,つねに,彼ハ昨日ノ彼ナラズという宿命背負って人生という旅を続けねばなりません。そして,時間とともに自分からすり脱けてゆく「異邦人」としての「自分」を追いかけながら生きてゆくのです。この意味で,人生とは「自分への旅」なのです。
テネシー・ウィリアムズは『やけたトタン屋根の上の猫』という戯曲の序文のなかで,人間はひとり残らず「自分」という独房に監禁されており,だから創作とは「生涯を独房に監禁された囚人が,同じ境遇の囚人に向かって,自己の監房から呼びかける悲鳴だ」といっています。
デカルト(フランスの合理論哲学者)も,「自分」をさがしに旅に出ました。彼は何とかして納得できる「自分」を見つけたかったです。彼にとっては,何もかも疑わしく思われました。自分が存在しているということさえも。そのために彼は夢中で書物を読みあさったのですが,どんな本を読んでも,いや,読めば読むほど疑いはつのるばかりでした。
そこで,青年デカルトは文字で書かれた書物のかわりに,「世間という大きな書物」を読もうと旅に出たのです。彼は自分で考え,自分で納得できるもの以外は何ひとつ認めまいと心に決めました。こうして彼の哲学の歩みが始まります。彼は自分にこういいきかせます。
――もし旅人が森の中で迷ったら,どうすべきか。途方に暮れて立ちすくでいては,永久に道は見つからないだろう。さればといって,やたらにあちこちをさまよい歩いても,いよいよ道に迷うばかりだ。迷ったときに必要なことは,とにかく一定の方角に向かってまっすぐに歩くこと以外にない。(『方法序説』)
こうして,彼は一直線に「自分」へ向かってつき進んでゆきました。そして,「我思う,ゆえに我あり(コギト・エルゴ・スム)」というあの有名な原点へと達するのです。
ハイデッカーは,人間を「死への存在」といいました。だれひとりとして死を免れることができないという人間の条件が実存哲学の原点なのです。しかし,私はそれよりも,人間を「自分への存在」と呼びたいような気がします。人間は生きているかぎり自分と向かい合い,自分と格闘しなければならないからです。
人間はみな「私」として生まれ,「私」として世を去る。そして,そのあいだじゅうを「私」として生き続ける。影法師のように「自分」を引きずり,「自分」を追いかけながら,しかも,だれひとりとして「自分」の正体をこの目で見た者はいない。人間の不思議さはそこにあり,それだからこそ,「自分への旅」である人生は,それぞれの人にとって無限の意味を持ち得るのだと思うのです。
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