女の世紀を旅する
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2003年09月28日(日) 輝く笑顔  ワダエミの飽くなき「美」の追求

《輝く笑顔  ワダエミの飽くなき「美」の追求》

                ASAHI WEEKLY, September 28, 2003より
                (インタビュー:赤本真理子記者)


和田エミさんの笑みはチャーミングで優美であり,やはり女性の美しさは輝く笑顔にあることを,みずから示してくれている。本当の笑みは内面から自然に出てくるものである。あの審美眼にあふれた鋭い眼差し,そして感性の豊かな笑顔,最高の仕事を追い求めてきた人ならではの本物の笑みがこぼれている。


 ★和田エミ(衣装デザイナー) プロフィール

 1937年生まれ。京都市立美術大学卒。アカデミー賞の他、93 年にはオペラ『エディプス王』でエミー賞最優秀衣装デザイン賞を受賞。映画『白髪魔女伝』(94) と『Hero』で香港電影金像賞。成安造型大学(大津市)客員教授






 黒沢明監督の「乱」では、1400点もの16世紀の衣装デザインし、
1986年アカデミー賞受賞。その他、同監督「夢」、市川昆監督「鹿鳴館」、「竹取物語」の衣装の他、舞台、演劇、オペラ、モダンダンスでも象徴的な衣装デザインをおこなっている。

 その他には、昨年世界中で話題となった「枕草子」(ピーターグリーナウェイ監督)のドラマティックな衣装、また香港のメイベル・チャン監督の「宋家の三姉妹」の衣装デザインもおこなった。

京都市立芸術大学在学中より、芝居、演劇活動も行い、昨今では大学での特別レクチャーによって後身への指導等を行っている。


 1年の大半を海外で過ごし、国際的な活躍を続けている衣装デザイナー・ワダエミさん。常に「求められる以上の」最高の仕事を目指してきたと振り返る。これから海外へ出てゆく若者には、自ら可能性を求め体を動かす「積極性を持って」とアドバイスしている。




●最高の衣装デザインを追い求めるハングリー精神


 ワダさんは、黒澤明監督の映画『乱』(1986)で衣装を担当し、第58回アカデミー賞最優秀衣装デザイン賞を受賞したことで一躍有名になった。その後、アジア、ヨーロッパ、アメリカの数々の映画、演劇、オペラ、ミュージカルなどの衣装デザインを手がけ、文字どおり世界を舞台にした活躍を続けている。


 最新作は、現在上映中の中国映画『Hero』(2002、チャン・イーモウ監督)で見ることができる。赤、白、青で色分けされた印象的な衣装群が、物語の展開上重要な役割を果たしている。この色構成は、台本ができていない段階から制作の過程に密接に係わったワダさんの発案によるものだ。千着にも及ぶこの映画の衣装をすべて担当した。

 「アクション映画では(破れ、汚れなどをつける関係で)同じ衣装が9着は必要です。『Hero』の場合は赤、白、青とありますから、全部で27着ですね」

 こんな条件に加え、台本がどんどん変更される。急に新しい衣装が必要になることもあれば、今まで作ったものがのきなみ無駄になることもあって、仕事の量は膨大だった。24時間フル操業の現地スタッフとともに乗り切った。

 試行錯誤をくり返す、慌ただしくも濃密な制作現場は、『Hero』に限らずいくつもの作品で経験して来た。  「お金も時間もかかります。でもそれをいとわずに取り組んでいかなければ、成功する作品は絶対にできません」


 『Hero』の現場では、監督、スタッフに俳優陣までを交えたミーティングが頻繁に行われ、そこでの話し合いをもとに作品が形作られていった。熱心な議論は12時間に及ぶこともあったという。参加者の国籍は中国だけでなく、オーストラリア、フランス、カナダ、マレーシアなど様々。色々な言語が飛び交った。その中で日本人はワダさんただ1人。自己主張する際の武器は英語だった。


 京都府生まれのワダさんの実家は「父がずっと『Life』を読んでいたような家庭」で、英語には日常的に親しんでいた。だから海外での仕事だからといって気おくれすることは、最初からなかったそうだ。ただ、自分の英語力が飛び抜けているとは思っていない。必要なのは「仕事をする上で通用する英語」だと言い切る。


 「1時間スピーチするってわけじゃないんだから。『正しい英語』にこだわらないで、監督やスタッフを納得させられる英語であればいい」


 学生時代は美大で西洋画を専攻した。アメリカ留学を考えたこともあったが、在学中に結婚。夫の演出家・和田勉氏が手がけた舞台が、衣装デザイナーとしての最初の仕事となった。


 海外での初仕事はオーディションを経て獲得したアメリカ映画。マルコ・ポーロを題材にした『マルコ』(73、セイモア・ロビー監督)で、映画そのものは成功とはいえなかったが、アメリカの映画制作の現場をつぶさに体験し、学ぶことができた。


 「ファーストシーンからラストシーンまで、衣装は全部担当する」のが、当初からのワダさんの妥協なきポリシー。『マルコ』ではそれができた。しかし、国内ではこの条件にあう仕事となかなか巡り会えない。十年以上の時を経て、遂に出会ったのが『乱』だった。


 最高の映画を作るために最高の衣装を追い求め、デザインし、生地を調達し、工房を指揮する。ワダさんは黒澤監督のもと、存分に手腕を発揮した。


 しかし、このスタンスはまた、時に大きな責任とリスクを負うことを意味する。『乱』制作時に一時資金繰りが難航したことがあった。それでも一旦始めた衣装制作のプロセスは中断できない。

 「1日に 15センチしか織れない布もあった。『最悪の場合、私個人が払いますから』といって継続してもらいました」

 この時の発注分は数千万円。生半可な覚悟ではできないことだ。

 また、生地店で使えそうな布を見つけると、先々のために自費で買い付けておくということもある。経済的な負担は大きい。でも、収入に関しては「自分の仕事を継続していけるだけのものがあれば良い」という思いでいる。

 「『今までにない仕事をした』というプライドで、わたしは生きているので」



●「お使い少女」じゃダメ

 こんなワダさんの目には、今どきの日本の若者が物足りなく映る。第一に、言われたことしかやらない。例えば、生地の調達を頼むと、指定のものを買って来るまではソツなくこなすのだが…。

 「お使い少女としてはそれで良いんでしょうけど。『この店にこういう生地があったのですが、どうでしょうか』というアプローチがない。店に行ったら言われたものを買うだけでなく、一階から最上階までくまなく見て、何があるかを把握しておくというような積極性が必要です」

 海外の現場で見かける日本人留学生たちも、ヨーロッパやアメリカの学生と比べ、積極性が欠けているように思える。それではせっかく海外に出て行ってもチャンスを生かしきれない。

 「漫然と学校に行くより、(インターン、ボランティアなどで)仕事の現場につくと良いと思う。でも、ただ見ているだけじゃダメ。何か手伝えることはないかと常に考えて。動くことで人脈を作ることだってできる」

 自身の仕事を振り返ると、いつも「『そこまでやらなくて良いよ』と言われるところまでやって来た」というワダさん。後に続く若者へのアドバイスは「求められる以上のものをプレゼンテーションしていかないとダメ」

 また、語学力の重要性も指摘する。『Hero』の現場では、老若、経験の有無にかかわらず皆がミーティングに参加していたが、その際、中国の若いスタッフが英語を巧みに操っていたことが印象に残っている。

 同時に「外国語の習得には、まず語るべき内容が必要」と釘を刺す。

 「大事なのは何を伝えたいか。自分を持っていない限り、いかに勉強しようとテストの点数だけのことですから」

 日本人の英語力が低いと言われる原因はその辺にあるのかもしれない、と推測している。

 語学力を身につけ、積極的に海外に出ることには賛成だ。反面、日本の伝統にもっと注意を向け、学んで欲しいとも思う。ワダさん自身、日本には1年のうち1カ月ほどしかいないが「自分のベースは日本」だと思っている。

 日本の素材の優秀さを評価し、『Hero』の衣装でも随所で使用した。

 兵馬俑(へいばよう)をヒントにデザインし、中国で「本当の兵馬俑が動いているようだ」と評された衣装も、日本人だからこそできたと思っている。実は、映画的な「カッコ良さ」を優先したもので、本物とは異なっているのだ。

 「『Hero』は、衣装に関しては決して中国映画じゃない。日本映画です」

 静かな口調で語るワダさんの声には、充実感がみなぎっていた。






カルメンチャキ |MAIL

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